東京ゲームショウ2012直前!
 という事で、いきなりですがTGSとコスプレの関係を、偏りは承知の上、備忘録を兼ねて分かる範囲・覚えている範囲でつらつら書いてみようと思います。
 おつきあいくだされば幸い。
 
■創生期~ゲームファンのお祭りとして

 1996年、秋…。ゲーム史的に見れば、長く続いたスーパーファミコン時代がドラクエ3のリメイク版(12月発売)によって有終の美を飾り、次世代機戦争としてプレイステーションセガサターンがデッドヒートを繰り広げていた頃です。と言っても、翌97年1月にFF7の発売が控えていた事で、既にプレステ時代が到来していたのですが。

 こういった時代背景で生まれた東京ゲームショウ=TGSが、従来の見本市系イベント(東京おもちゃショー等)と大きく異なっていた点。
 つまり、最初から“ファンによる同人誌やコスプレ”活動を公認し、むしろコンテンツ(悪く言えば、見世物)として位置づける事で、コアな層を狙っていたって事ですが。
 ちなみに世間はこの時、橋本内閣

[1]   同人誌即売会が会場内で併催
 今じゃ考えられませんが、TGS会場内には同人誌即売会があったのです。
   権利元のメーカーと、あくまでファン活動でしかない(ほぼ無許可の)同人誌のサークルが同じ会場に入っていたというのは、あまり聞いた事がありません。非常に斬新な試みでした。
 しかし問題もあったと思います。即売会用のパンフレットはサークルカットがフルカラー印刷で驚かせたのですが、当時のサークルは、カットに住所を書いたりするのが当たり前だったんですよ。しかしそれはあくまでオタク同士だから成立するのであって。
 ゲムショにはちょっとゲーム好きなだけの一般人も多く来場します。そんな人達にとってはやはり、公式な物販と区別がつかないでしょうし。
 かといってオタク層にとっても、18禁描写がアウトで、少数のサークルしか参加してない即売会では、魅力無かったでしょうし。
 この同人誌即売会の企画は、ごく初期のみで消滅しました。それで良いと思います。

[2]   コスプレ歓迎と、コスプレ1000人パレード
  最初からゲームショウはコスプレに対して寛容でした。当時は大型のコスプレ可のイベントは夏冬コミケとワンフェスくらいでしたので、このような巨大イベント、しかも権利元のゲームメーカーが出展している前でコスプレ出来るというのは、エポックな出来事だったのです。
 初期はパレード企画が有りまして、1000人のレイヤーが集まって会場内をパレードする…というものでしたが、コスプレに興味無い人や、急いで移動中の人にとっては動線をふさがれて邪魔になってしまうので、このパレード企画も初期だけで無くなりました。
 ↓小森まなみさんファンのサイトで、当時の混乱ぶりを発見。
http://www.kt.rim.or.jp/~tmizuno/komori/event/970406_6.html
 痴豚様こと伊集院光はこの当時ラジオで「貧乏コスプレが悪い訳じゃないけど、クリーニング屋のハンガーで作った羽が曲がっちゃってるのを見たりすると、もう少しどうにかなんねーのかなって気になる」とボヤいていたのを思い出します。

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 1997年、秋。
 3回目を迎えたTGS(まだ年2回開催)はビッグサイトから幕張メッセへ移行し、同時に上記の2企画は無くなったと思います。(ちと曖昧)
 しかし同人誌即売会やパレードは無くなっても、コスプレは存在し続けました。この時期によく行われたのが“公式コスプレイヤーコンテスト”。これはTGSとしてではなく各出展ブースで行われていたもので、各ゲームメーカーが自社のキャラクターの恰好をしたレイヤーを集め、コンテストで優勝すると公式レイヤー扱いとなって他のイベントなどにも呼ばれる…という企画でした。
  元々ゲームとコスプレは親和性が高かったのです。特にRPGや格闘ゲームが隆盛した時代、ゲームのキャラは自分が動かす分身であり、90年代の次世代機競争によりグラフィックが向上していく中、そのキャラと一体化したいというファンの欲求は、コスプレという形態の表現をとっていった訳です。
 夏冬コミケでの更衣室登録者数は90年代の数年間だけで、一日数百人から数千人の規模へと膨張します。このコスプレブームを支えたのが…ファイナルファンタジー、KOF、ストリートファイターIIでした。(あとアニメでセラムン)
 また権利的にも、TV局や出版社や制作会社で複雑に権利が絡むアニメと違い、ゲームはメーカーが自社で権利を持っていたので、公式コスプレコンテストなどが開催しやすかったんですね。
 メーカーにとってのコスプレイヤーとは、熱心な消費者であり、歩く広告塔として扱われていた節もあります。

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■成長期~見本市としての完成

 この90年代末期、ゲームショウは…というより、ゲーム文化は“オモチャ”の範疇を飛び越えて成長していきます。

 1998年ドリームキャスト発売。
 自虐的な「セガは倒れたままなのか?」「たつんだ!湯川専務」のキャッチコピーは、大ブームになりました。
 初めてのインターネットはドリキャスだったという家庭も多いでしょう。
 その割に本体の生産遅延やソフトのキラータイトルを提供できず、認知度の割に広く普及できなかった所も、「セガ伝説」の一幕として語られていますが。
 ちなみにこの時、小渕内閣
(「自○党なんてダセーよな」「民○党の方がカッコイイよ」『たつんだ!小渕総理』…っていうドリキャスCMのパロディを仲間内で披露してました。若かりし頃の僕は)

 2000年プレステ2発売。
 実装されたDVD再生機能は、国内で一気に100万台単位でDVDプレイヤーの普及を促進させました。
 初めてのDVDプレイヤーはPS2だったという家庭も多いでしょう。
 これ以降、映像ソフトのビジネスモデルは“レンタル店相手に1万円のVHSを売る”から“一般の個人ユーザー相手に3000~5000円のDVDソフトを売る”にシフトします。
 そして分かり易い例で言うとマニアックなインディーズ系AVメーカーも大乱立時代を迎えるのですが、それは長くなるのでまた別の話…。
 ちなみにこの時、小渕首相の急逝を経て、森内閣

 長引く不況とデフレの中、しかしいつの間にかゲームが、オモチャではなく、経済ニュースの枠で語られる時代が到来していました。
 しかし、ゲーム以外にもフィギュアやトレカ等をテーマに、ライトなオタクをターゲットとしたイベントが他にも乱立していく中、TGSの入場者数も減少傾向をたどります。
 データでこの時期のTGSを見ると、
1999年春: 出展社数82社/出展小間数1530/出展タイトル数450/入場者数16万人
2000年春: 出展社数66社/出展小間数1295/出展タイトル数400/入場者数13万人

 …たった一年で規模が2割減していました。
(見本市において重要なのは入場者数よりも出展社数&小間数です。主催側は出展する企業や団体に対し、一小間いくらで高額な料金を得ているので、入場者数の増減よりも出展小間数の増減の方が死活問題です)

 2002年、運営がCESAだけでなく日経BPとの共催となり、同時に年2回から年1回の開催になります。
 ちなみに01年から5年間、小泉内閣。06年に安倍内閣

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 それでも2000年代中期にかけて、本来のゲーム見本市として、出展数も入場者数も回復し、TGSは鉄板でした。なのでコスプレはあくまで“添え物”程度の認識となります。それで十分でした。
 この数年間は、コスプレ関連では細かい変更はあれど、あまり大きな変化はありません。

 TGSの外で起こった変化と言えば、デジカメとネットが普及し、レイヤーの共通ツールになりました。2001年にオープンしたコスプレSNSのCureは2004年にライブドアに運営が移譲され、同社の重要コンテンツの一つになります。
 デジカメはアナログカメラと違って現像費用が掛かりませんから、一気にカメラを趣味にする人口が増え、コミケもTGSも、コスプレそのものよりも撮影によるトラブルが増加します。
 TGSに来るカメラマンはコミケや他コスプレイベントに来るカメラマンの層とちょっと違います
 オートサロンでレースクイーンやキャンギャルを撮る様な層に近いので、出展ブースのコンパニオンと素人のコスプレイヤーを区別しません。勝手に撮る・死角から撮る・胸やお尻ばかり撮る…っていう様なカメラマンや、またそれに撮ってもらう事で自主販売のROMの宣伝しようとする露出系衣装の人達も、チラホラ…。
 こういった人達が注意されると二言目に言うのが「勝手に撮られたくなかったらそんな恰好するな」ですが、じゃあ望みの写真が撮れた時はチップでも置いて行ってくれれば良いのに…。コスプレは趣味人が無償でやってるんだから。
 この時期は各地にイベンターが乱立し、バブル期にウッカリ作って閑古鳥の鳴いていたイベントホールや遊園地・テーマパークなどを使い、次々とコスプレイベントが開催されて行きました。“一般客が少なくて、背景がキレイ”なのがレイヤーにウケたのです。逆に言えば写真撮影主体のレイヤーにはコミケやTGSの混雑は忌避され、参加してもコスプレはしない人も多くなりました。
 この為、三大コスプレ聖地と言われたコミケ・ワンフェス・TGSの比重が軽くなっていき、特に新規参入したコスプレイヤーからはもう、これらのイベントは特別視されなくなって行きます。

 …ってゆーか、2000年代前半~中盤にかけて個人的にしばらくコスプレから遠ざかってたのと、TGSも飛び飛び参加だったので、見落としがあるかもしれない!
 詳しい人いたら、誰か補足して。

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■ネットの時代へ~転換を迫られるTGS

 2007年、さて、この時オタクにとってエポックな出来事が起こりました。
 ボーカロイド「初音ミク」発売。そしてニコニコ動画、Pixivの誕生。(この前年にコスプレイヤーズアーカイブも誕生し、先行するCureとシェア争いを開始)
 ミクは初出はゲームではありませんが、仮想世界の歌姫というキャラクター像で、ゲーム世代と親和性の高いものでした。
 作曲家・歌い手・踊り手・絵師・コスプレイヤー・造型師…これまで別個に点在していた才能が、ミクを媒介としてネット上で繋がっていき、超巨大なムーブメントを形成していきます。
 特定の原作だけに依存せず、こういったファン参加型によるムーブメント形成は「ヘタリア」「東方」などでも近しい現象が起こり、新たなオタク文化の幕開けを感じさせました。
 TGSでも早速ミクのコスを見かけました。厳密にはゲームキャラではないのですが、TGSはゲームキャラ限定では無いですし、ゲームと同じ様な認識をされていましたから。
 ちなみにこの時、福田内閣

 2008年9月、米国でリーマンショック発生。
 TGS直前に発生したこの事件により日本経済は…いや世界は、未曾有(みぞうゆう)の経済危機に入ります。
 ちなみにこの時、麻生内閣

 2009年、この辺りから、ゲームショウの風景が変わり始めました。
 いや、元から変わりつつあったのが決定的になったと言うべきでしょうか。
 前年末からのド不況のため中小メーカーが出展を見送り、出展社もタイトルも一気に減ってしまったのです。
 そして既に一般家庭にも広く普及していたインターネットが、ゲームに限らず販促の形を変えていたのでありました。
 Youtube・pixiv・ニコニコ動画などが、特にゲームの販促に与えたショックは大きかったのです。
 例えるなら2010年後半から起こったネット上における「エルシャダイ」ブームは、 ゲームの面白さは勿論の事、珍妙な会話のデモムービーとそのMAD動画がネット上で拡散されたのが理由である事を、疑う余地は無いですよね。
 メーカーは大金をかけて 巨大な見本市に出展しなくても、ネット主体で燃料が上手く投下できれば発売前からファンがつき、盛り上がってくれる時代になっていたのでありました。
 ゲームの見本市としてのTGSが、転換を迫られて行きます。
 ちなみにこの時、政権交代により鳩山内閣

 そして中小のゲームメーカーが出展減し全体的にボリュームダウンする中、会場を埋めていったのは、海外メーカー、ケータイゲーム、スマホアプリ、そして再び…コスプレでありました。

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 長いので第一回はここまで。

 次回!第二回は…TGS2010に出現した謎の組織“コスプレ推進チーム”とは…
 試行錯誤するTGSに未来形はあるのか…
 動くコスプレ=ショウビジネス化するコスプレ?…
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