「僕たちの好きだった革命」

1999年、日比野篤志(塩谷瞬)と未来(片瀬那奈)のクラスに1人の中年男性が復学してきた。山崎義孝、47歳(中村雅俊)。
1969年の学園紛争で機動隊と乱闘中、シュプレヒコールをいいよどんでいるところ、ガス弾を受け意識不明に陥ったのだ。30年ぶりに意識を取り戻した彼は母校に戻ってきた。
「今度こそ、恥ずかしくないアジ演説をやるんだ」という誓いと共に。
しかし、高校は様変わりしていた。“クラス討論”など存在しない。生徒たちに主義主張は無く、話のネタはもっぱら流行の音楽と受験と恋愛と・・・。教師たちも事なかれ主義で、今日もおざなりの服装検査をしている。それを「学校側の検閲体制であり、生徒の主体性と権利に対するあきらかな侵害であり、挑戦だ」と憤る山崎は、教師にとっても生徒にとっても異分子だった。

そんな山崎と、日比野と未来たちが手を結ぶことになった。
文化祭に人気のラップ歌手を呼ぶ企画を「歌詞がワイセツだ」という理由で学校側が一方的につぶしたのだ。
山崎に引っ張られるように、日比野、未来はアジビラを作り、グランドでの要求集会を呼びかけた。「文化祭を我等の手に!」
だが、その活動も、かつて山崎と行動を共にした闘士たちによって阻まれることになる。
そして、その過激さに手を焼いた学校側が、文化祭自体を中止にすると発表するが・・・

__________


 久しぶりに観劇してきました。
 いや、これ最初の上演の時に観に行けなくって本気で悔やんだんで、この再演の機会は何としても逃すまいと。
 以下、感想や雑談など。

 東京芸術劇場に入るとロビーには、1969年の出来事や劇中の用語解説(シュプレヒコールとか)が書かれた手製の看板が。
 上演開始前は、舞台袖で学生役の俳優さん達がギターに乗せてフォークを歌っています。
 大掛かりな舞台の筈なのに、わざと手作り感を出して文化祭前日っぽい空間の演出をしてるんですね。


 内容はというと、基本的には青春ドラマで、コメディタッチなのです。(「チョームカつく!」「腸がむかつくのか?」とか、「アジビラを配る!」「アジの開き?」とか)
 とりあえず最初に言っておきますが、専門用語…というか思想的な表現は多く使われているけど、これは時代背景やジェネレーションギャップを演出する為の手段であって、決して何か特定の思想を啓蒙しようという意図ではないです。だとしたら自分もここまで他人に勧めないでしょう。
 この辺の世代が身を投じた学生運動に対しても、これ全てを一方的に美化しようともしていません。
 むしろ、その暴走気味でメチャクチャな滑稽さこそがネタにされている訳でして。

 それは、かつて主人公と一緒に闘争に参加していた同志の学生達が、今は教師あるいは保護者の側に立っているという構造によっても描かれています。
(そして教師だってそれは「統制」の為なんかじゃなくて、規則だから何となく惰性で服装検査してるに過ぎないので、これに食って掛かる主人公とは必ずしも話が噛み合わない)

 当然、主人公はカラ回りするのです。衝突するというより、カラ回り。
 だからといって内に引きこもったりする訳ではなく、自分で、自分が正しいと信じた事をやろうとするのです。
 これがカラ回りを繰り返しながらも、次第に周囲を巻き込んでいくのです。

 学校側に「中止」を宣告された文化祭を、現代の学生達と一緒に自分たちの手で開こうとするクライマックス。 インディーズのラップが流れる中、自分の意志で校内に残った学生達と巻き込まれてしまった元・学生達が、30年ぶりに出動してきた機動隊と舞台上で衝突するシーンは(今までも見た様な展開だけれども)心にグッと迫る物がありました。


 きっと、もう誰も本気で世の中を革命出来るなんて思ってないでしょう。

 でも、「自分達で考えて、自分達で決めて、自分達で作る!」…そんな、転んでも失敗しても、何かにエネルギーをぶつける不格好な熱さ(言い換えれば、「愛」)を、どうやって自分の中へ取り戻すか…
 …タイトルの「革命」とはすなわち、社会に対してではなく、自分自身の内なる変革へと繋がる言葉なのです。

 
 これは本質的には団塊世代の懐古の為ではなく、やる前からあきらめてしまいがちな現代の若人(あなたの事ですよ駄チワワさん!)にこそ、伝えたいメッセージなのだと思うんだな…。どうやら映画化も予定されてるらしいので、興味抱いた方は見に行けば良いと思う。
 でも舞台を見られる機会がある方(これから地方公演始まります)は、なるべく舞台でナマの迫力を味わうのがいいんじゃないかなぁ。数多くの場面転換を、舞台上を部分的にシートで覆って早変わりするギミックなんかも見ていて楽しいし。

 では最後に、キャッチフレーズにも使われた劇中の台詞で、印象深いものを一つ。





『人生、何度負けたっていいんだよ。最後に勝てばいい!』


 久しぶりに観劇してきました。
 いや、これ最初の上演の時に観に行けなくって本気で悔やんだんで、この再演の機会は何としても逃すまいと。
 以下、感想や雑談など。

 東京芸術劇場に入るとロビーには、1969年の出来事や劇中の用語解説(シュプレヒコールとか)が書かれた手製の看板が。
 上演開始前は、舞台袖で学生役の俳優さん達がギターに乗せてフォークを歌っています。
 大掛かりな舞台の筈なのに、わざと手作り感を出して文化祭前日っぽい空間の演出をしてるんですね。


 内容はというと、基本的には青春ドラマで、コメディタッチなのです。(「チョームカつく!」「腸がむかつくのか?」とか、「アジビラを配る!」「アジの開き?」とか)
 とりあえず最初に言っておきますが、専門用語…というか思想的な表現は多く使われているけど、これは時代背景やジェネレーションギャップを演出する為の手段であって、決して何か特定の思想を啓蒙しようという意図ではないです。だとしたら自分もここまで他人に勧めないでしょう。
 この辺の世代が身を投じた学生運動に対しても、これ全てを一方的に美化しようともしていません。
 むしろ、その暴走気味でメチャクチャな滑稽さこそがネタにされている訳でして。

 それは、かつて主人公と一緒に闘争に参加していた同志の学生達が、今は教師あるいは保護者の側に立っているという構造によっても描かれています。
(そして教師だってそれは「統制」の為なんかじゃなくて、規則だから何となく惰性で服装検査してるに過ぎないので、これに食って掛かる主人公とは必ずしも話が噛み合わない)

 当然、主人公はカラ回りするのです。衝突するというより、カラ回り。
 だからといって内に引きこもったりする訳ではなく、自分で、自分が正しいと信じた事をやろうとするのです。
 これがカラ回りを繰り返しながらも、次第に周囲を巻き込んでいくのです。

 学校側に「中止」を宣告された文化祭を、現代の学生達と一緒に自分たちの手で開こうとするクライマックス。 インディーズのラップが流れる中、自分の意志で校内に残った学生達と巻き込まれてしまった元・学生達が、30年ぶりに出動してきた機動隊と舞台上で衝突するシーンは(今までも見た様な展開だけれども)心にグッと迫る物がありました。


 きっと、もう誰も本気で世の中を革命出来るなんて思ってないでしょう。

 でも、「自分達で考えて、自分達で決めて、自分達で作る!」…そんな、転んでも失敗しても、何かにエネルギーをぶつける不格好な熱さ(言い換えれば、「愛」)を、どうやって自分の中へ取り戻すか…
 …タイトルの「革命」とはすなわち、社会に対してではなく、自分自身の内なる変革へと繋がる言葉なのです。

 
 これは本質的には団塊世代の懐古の為ではなく、やる前からあきらめてしまいがちな現代の若人(あなたの事ですよ駄チワワさん!)にこそ、伝えたいメッセージなのだと思うんだな…。どうやら映画化も予定されてるらしいので、興味抱いた方は見に行けば良いと思う。
 でも舞台を見られる機会がある方(これから地方公演始まります)は、なるべく舞台でナマの迫力を味わうのがいいんじゃないかなぁ。数多くの場面転換を、舞台上を部分的にシートで覆って早変わりするギミックなんかも見ていて楽しいし。

 では最後に、キャッチフレーズにも使われた劇中の台詞で、印象深いものを一つ。




『僕たちは正しく戦って、正しく負ける。そうすれば、次は勝つ!』
『人生、何度負けたっていいんだよ。最後に勝てばいい!』