…いや、90年代プロレスブームで全日本と新日本がチケット入手困難になっていた中、雨後のタケノコの如く大量発生していたインディペンデント団体って、どーゆーのが有ったんだっけ?と思って調べ始めたら、簡単にまとめるつもりが思わぬ超・長文になってしまいまして。ここまで長いとプオタでも読み切れねーっつの。
 
 ただ離合集散の流れを追うと主に、FMW(デスマッチ)、SWS(メガネスーパー資本)、ルチャ(メキシカンスタイル)、UWF(格闘技色)…に大まかに分類する事が出来たんで、もうね、それぞれ別の日記にして、書き上がった章から上げていこうと思います。
 
 あ、SWSもUWFも規模的にはメジャーですが、その派生を追っていく試みなので、インディーと一緒にまとめてありますんで。ファンの方、すみません。
 まずはプロレス興味無い人でも知ってるであろう、FMW編です。
 
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■ FMW〜デスマッチの系譜 ■
 
 全日本プロレスから解雇された剛竜馬が、元国際プロレス勢と興したのが89年4月の【パイオニア戦志】。
 インディーの草分けとも言われますが、独自カラーを出せず1年程度で活動休止。(練習生をバイトさせた金を、剛がピンハネしたとか)
 
 本当の意味でインディーの草分けと言えるのはやっぱり、89年10月旗揚げのご存知、【FMW】でしょう。
 全日本プロレスで引退した大仁田厚(ジャパン女子プロレスの営業活動等していた)が、海外で活躍していたターザン後藤と組んで興した「何でもあり」の団体で、初期の異種格闘技路線に見切りをつけて始めた、有刺鉄線デスマッチ・ファイヤーデスマッチ・時限爆弾デスマッチ…などで一世を風靡し、「涙のカリスマ」と呼ばれるに至ります。最盛期のFMWは新日本プロレス・全日本プロレスに次ぐ「第3のメジャー団体」とまで言われていました。

 そんなFMWを離脱したミスターポーゴらが興したのが【W☆ING】。殺伐とした超過激なデスマッチで人気を博しますが、放漫経営で休止&復活を何度も繰り返し、その度にトラブルを起こしてくれます。
 01年、第4次として復活した際の後楽園ホール大会では、茨城代表が会場代を支払わずに裏口から逃走しようとして選手達にとっ捕まり、これが週刊ファイト紙上で見開き2ページ使って報じられるという真骨頂!を見せてくれました。この時の未払分は結局踏み倒されてしまい、以降、後楽園ホールは後払いを認めなくなります。翌03年にWJプロレスのゴマシオ部長が、会場費支払いのメドがつくまでホール事務所に軟禁されたのは、こーゆー理由です。(週刊ファイト情報)
 
 なお、崩壊した旧W☆INGを引き継ぐ形で94年にIWAプエルトリコのビクターキョネスらが協力して【IWA JAPAN】として継続しますが、ここも長続きせず。この前後で離脱した選手は一部がFMWなどに「W☆ING軍団」として乗り込んで暴れました。
 IWA JAPANはその後、実業家の浅野社長が買い取り、「新宿二丁目劇場」で有名になったりしましたが…。

 00年、ポーゴが地元の伊勢崎で興した【WWS】(ワールド・ウイング・スピリッツ)もこの系譜です。殆ど活動してませんが。
 団体としてはメチャクチャでしたが、W☆INGの選手や「ハードコアマッチ」(凶器の小道具を多用するデスマッチ形式)の人気は拡散し、これがカクタスジャックによって95年頃アメリカに飛び火したのが【ECW】です。(団体自体はそれ以前からありましたが)

 さてFMWの話に戻して。
 大仁田は94年、WARの天龍に電流爆破デスマッチで敗北した事を理由に引退を表明。1年に渡る引退ツアーの後、95年に(2度目の)引退。そして96年に復帰。(…。)
 しかし新生FMWには彼の居場所は無く、追放されて以降は「インディーの権化」「邪道」などとして、新日本プロレスに乗り込んでTV朝日の真鍋アナをブッ飛ばしたりしつつ、高校に入学したり、勝手にFMW10周年大会を開いたり、国会議員になったり…で、今春、6度目の引退をしました。
 
 98年頃から新生FMWは冬木軍を合流させ、デスマッチ路線からエンタメ路線への転換を図り成功を収めますが、その後、横浜アリーナ大会の失敗や衛星放送のディレクTVの撤退などで下降線を辿り、迷走が続く中、2001年10月にエース選手のハヤブサが試合中の事故で頸椎損傷。02年2月13日、2億円の負債を抱えて倒産。5月には荒井社長が自殺。悲劇的な最期を迎えてしまいます。

 このFMW最終シリーズに予定されていた地方大会は冬木軍プロモーションが代理開催し(会社が無いので、連絡先はポスターを見て調べてほしい、という告知がマスコミで発表されました)、尻を拭った事で、FMW選手の受け皿として【WEW】(元はFMWの「ワールド・エンターテイメント・レスリング」王座が語源)をスタートさせますが、これも長くは続きません。
 いや、そもそもWEW旗揚げ前の02年春、冬木に大腸ガンが発見され、手術のスケジュールの都合で引退試合も出来ない…といった状況を知り、三沢光晴がプロレスリングノア全面協力で急遽、ディファ有明で引退試合を開催した…という美談もありましたね…。

 しかし…WEWは波に乗れず、冬木はガンの転移を知りつつもリング復帰を宣言。ゼロワンの橋本に電流爆破デスマッチの約束を取り付けた直後に永眠。追悼大会となった03年の川崎球場では、弟分の金村キンタローと橋本が、遺骨を抱きながら有刺鉄線に突っ込んで爆破の洗礼を受ける…という弔いがされました。
 その後、WEWは休止。金村や黒田達は【アパッチプロレス軍】を興して自主興行や、他団体へ乗り込んでいく事になります。

 話は前後しますが、一方、02年のFMW倒産後、冬木達と分裂したハヤブサと雁之助が興したのが【WMF】(逆さに読むと…?)、ゲーム会社の一部門でしたが、これも05年で活動休止。
 かつては「第3のメジャー団体」とまで言われたFMWの流れは途絶えてしまいます。
 
 09年末、ターザン後藤一派が大仁田らと組んで【真FMW】を興しますが、あくまで大会名であって、正式な団体ではありません。
(この大会は素人運営で、観戦に来ていたスタッフ経験者が見かねて、厚意で手伝ってくれたとか…)
 
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 90年代に隆盛を誇り、川崎球場で数万人の観客を動員していたデスマッチ団体も、今は殆ど残っていません。画鋲や有刺鉄線、火炎放射にガラスの破片、時には刃物まで使ってお互いの肉体を刻み合うデスマッチは、当然ですが選手への負担も大きいのでしょう。
 それは満員の観客から悲鳴や歓声を浴びるからこそ出来るのであって、現在の様にプロレス人気が凋落した中で、わざわざそんな超危険な試合をやれる選手も団体も少なくなってしまったんでしょうね…。

 なお、現存する唯一のデスマッチ団体である【大日本プロレス】は、系譜としてはSWSの派生団体に当たるので、そちらの項で述べたいと思います。


 
…こんなんが4回くらい連載されるのか…