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  すっかり忘れられていたと思いますが、お久しぶり!の第4回です。
  画像は第一次UWFの初期パンフレット復刻版。以前の勤め先を退職時、U信者の先輩に餞別として頂いたのであった。

[1:FMW編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662612.html
[2:SWS編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662613.html
[3:みちプロ編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662616.html


  通常、84年の第一次UWF、88年の第二次UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)は、新日本プロレスから格闘技色の強い選手達が分派して出来た団体であり、後述するUインターやリングスやパンクラスと共に「インディー」には分類されません。
  しかしそのさらに「U系」派生団体にはインディーと称される団体が存在するので、ここで流れとして取り上げます。
  なお、源流たる【UWF】に関しては語ると長くなるのと、迂闊なことを書いてもお叱り受けそうなので、興味ある人はウィキペディアなんかで調べてね!
  このUWFがもし分裂せずに成長し続けていたら、新日本プロレス・全日本プロレスにとって、より大きな脅威となっていただろう…と言われています。

  あ、ちなみにワタシ、実を申しますとU系には疎いので、もし間違ってたらご指摘お願いします。

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■  UWF~総合格闘技の系譜  ■

  90年末の第二次UWFは崩壊後に、藤原派・高田派・前田派の三つに分かれます。

  1つ目。
  91年、藤原組長率いる【藤原組】が旗揚げ。SWSと同じくメガネスーパーがスポンサーだった関係で、SWSとも交流戦を行い、東京ドーム進出までしてし まいます。これが週刊プロレスに「SがUを捕獲した!」と叩かれた事は、SWS編で述べた通りです。
  また、同時に藤原は「組長」という肩書きで頻繁にテレビ出演し、アル中オヤジの如きキャラで大ブレークします。

  しかし、レスラーとしての藤原はあくまで「関節技職人」であって、いわば「専門店」。大規模な団体運営やビッグマッチを行うには、「百貨店」でなくてはな りません。そういった厚みの有る団体を作る事は出来ませんでした。

  93年、この藤原メインの関節技路線に異を唱え、打撃や投げを含めた総合的な格闘技術「ハイブリッドレスリング」を標榜したのが、鈴木みのる・船木誠勝ら の【パンクラス】。分裂時に藤原とは絶縁しましたが、後に和解。
  パンクラスの特長は、厳密な体重別クラス分け、ランキング制など、ボクシング界をお手本としていた所です。他団体と比較して地味な試合展開や、エースの船 木やみのるが必ずしも勝てなかった所から考えても…おそらくガチ試合にこだわった、初の団体ではないでしょうか?
  しかし2000年に【コロシアム2000】(単発の格闘技イベント名)で船木がヒクソンに破れて引退して以降、パンクラス系選手は【PRIDE】など他の総合格闘技イベント(団体ではない)に流出する傾向が続き、PRIDEの二軍の様な位置付けで見られる様になってしまいます。


  話が藤原組に戻って。
  パンクラスとの分裂後、愛弟子の石川雄規と小規模ながら団体運営(というより他団体への殴り込み参戦)を行っていた藤原組ですが、スポンサーとの問題から ついに活動停止。以降、藤原組は組長の個人事務所というか、トレーニング器具も片付けられ、趣味の陶芸工房になってしまいました。(実際に見て来た)

  95年、石川は藤原組の若手全員を引き受け、綺麗に送り出される形で【格闘探偵団バトラーツ】を旗揚げします。
(後に石川は「藤原組時代に会社を乗っ取られそうになって、行き場の無い奴らが集まった」と回述)
  このバトラーツは「U系」の流れにありながら、これに対して「B系」を名乗り、3カウントフォールを廃したダウン制10カウントルール、容赦ないシバキ合いに、ブレーンバスターなどプロレス的な大技を加えて試合を組み立てる「バチバチスタイル」を確立します。
  社長兼エースの石川は「燃える情念」と自称して猪木チックなキャラを押し出してブレーク。
  地方巡業にロードウォリアーズまで招聘。(ギャラ高い割に試合短いのでお馴染み)
  さらに総合格闘技に進出してブレークしたのがアレクサンダー大塚。PRIDEにも参戦し、マルコファスを破ったり、高田との試合で「プロレス技で戦って下さい!」と要望、高田に久々のローリングソバットを放たせるなど、大いに話題になりました。
  みちのくプロレスとの提携や他のユニーク企画(悪ノリともいう)などでも人気になります。
  こうしてバトラーツは団体としても選手派遣としても軌道に乗ったかに見えました…が。

  02年、前年に新日プロから分裂して旗揚げした橋本の【ゼロワン】との提携でトラブルを起こします。
  橋本と師匠の猪木(この時点でPRIDEプロデューサー)がコールマン引抜き騒動により絶縁した事で、バトラーツは…というか猪木シンパの石川は、ゼロワンとの提携を解除、発表済の対戦カードを一方的にドタキャンします。
  この時、これを見かねたプロレスリングノアの三沢光晴は急遽、ゼロワン救済に若手を派遣。
  冬木の引退試合でもそうですが、三沢さんは要所要所で業界のために動いてくれて、男を上げております。
  この事件の後、三沢の「自分のケツは拭え」発言に石川が逆ギレしたりした事で一気にファン離れを起こしたバトラーツは、後楽園ホールで観客動員が主催者発 表99人(自虐ネタだった可能性もアリ)という状況に陥り、活動休止。
  05年に復活しますが、現在は埼玉県越谷の桂スタジオをホームに、地元密着の小団体となっています。


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  2つ目。
  次に高田派の【UWFインターナショナル】は、分派した中では最大の規模とムーブメントを起こしました。なお正式名称は「ユニオン・オブ・プロフェッショ ナル・レスリング・フォース・インターナショナル」であり、元のUWFの「ユニバーサル・レスリング・フェデレーション」とは異なります。

  高田延彦を絶対エースに据え、「最強」を標榜。これは初期の新日プロ(猪木)やUWF(前田)を想起させる構造でした。
  UWF理念を継承した格闘技色を強く打ち出しつつも、プロレス的なスタイルとミックスし(シングルマッチ主体のU系では初のタッグマッチも行っていた)、 一時は圧倒的な人気を誇ります。
  …が、95年から開戦した新日本プロレスとの全面対抗戦では、絶対的エースだった高田が武藤・橋本に敗北し、「最強」のイメージを失ってからは凋落しま す。WARと同様に、新日本プロレスとの対抗戦で骨抜きにされてしまったケースと言えます。
(しかし後の総合格闘技ブームの基礎構築や、安生洋二、高山善廣、桜庭和志、田村潔司といったスター選手を輩出した功績はあまりに大きい)

  高田は第一戦から退き、参院選に出馬し落選。さらに創世記の【PRIDE】で、ヒクソングレイシーに何も出来ず敗北。その後にPRIDE本部長としてこれ を超人気格闘技イベントに育てますが、フジテレビとの提携解消してからは凋落し、米国のズッファ社に映像やイベント名の権利までも買収されてしまいまし た。

  Uインター崩壊時に高田以外の選手達は【キングダム】を旗揚げするも、1年程度で休止に。高山や柿原は全日プロへ。安生さんは面白い顔を売りに、フリーと して活躍。(前田殴打事件は後述)
  高田と安生は後に、04年に起こした【ハッスル】にて、高田総統&アンジョー司令長官として再会します。


  ちょっと寄り道。
  新日プロがUインター(や、他の団体)を骨抜きにしていった過程は、実に狡猾でした。
  初戦、新日の東京ドーム大会(TV朝日が特番で放送するため、訴求力が高い)において、まず高田は武藤に敗北し、大きくイメージダウンします。この新日の東京ドーム大会は3回に渡って高田をメーンに使い、高田は1勝2敗。しかも1勝は武藤にリベンジが成功しただけなので、高田は新日トップ選手相手には、誰にも勝ち越していないのです。
  しかもUインターの大会に送り込まれてくる新日選手は、越中詩朗など、トップではない選手ばかり。
  また新日のドーム大会などビッグマッチにおいても、最初は「新日×Uインター」だったのが、次第にWARなども同じ大会に出場する様になり、「新日×連合軍」の様な扱いになります。
  つまり、「新日の傘下団体」みたいなイメージを植え付けられていったんですねー。


  この時期に違う意味でブレークしたのが、Uインターのナンバー2・安生洋二をリーダーに高山・金原で構成されたチーム「ゴールデンカップス」!
  安生さんは長州力に「戦ったら200%俺が勝つ!」と挑発し、これが長州の有名な「俺をキレさせたら大したモンだよ」発言へと繋がっていきます。また 「200%マシン」なる覆面レスラー軍団へと変身。
  新日との対抗戦においても、3人で覆面を被って登場し、安生さんだけ顔が大き過ぎてマスクの紐が縛られてないとか、安生さんの顔が大き過ぎてフライングメイヤーがすっぽ抜けるとか、殺伐とした対抗戦の会場に笑いを巻き起こしました。また実況の辻アナが、こういった小ネタをちゃんと拾ってくれるんだ!
  安生さんはUインター×WARの対抗戦においても、冬木との抗争を、ついに凶器として生タコを使用されるまでにエスカレートさせました。タコを凶器として 使うのはバラモン兄弟が初ではないんですよ!
  面白い顔、鋭い打撃、コミカルなアクション、的確な関節技、そしてやっぱり面白い顔…筆者は安生さんが大好きです!
  でもまあ、Uインターの掲げた「最強」幻想はどこかへ吹っ飛んでしまいましたが…

  あ、蛇足の蛇足ですが、Uインターの合宿所では、練習生がFRPで仮面ライダーのマスクを成型しようとして、異臭騒ぎを起こして先輩にブン殴られた事件が有ったそうです。
  その練習生は、郷里に帰った後、今では秋田県を護るため「超神ネイガー」として活躍しているとか…。つまりネイガーは「Uの精神」を受け継いでいたんですねっ!

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  3つ目。
  前田派…というか前田は一人になり、しかし衛星放送のWOWOWからバックアップを受け【リングス】を旗揚げ。
  「最強の男はリングスが決める」「リングスルールをオリンピック競技に」といったコンセプトで、バイオレンス性を排した競技性の高いルール構築、全世界のネットワークから外国人選手発掘など行います。99年に前田の引退試合の対戦相手として、ロシアからオリンピック三大会連続で金メダル獲得した「霊長類最強の男」、カレリンを招聘する事が出来たのも、リングスの築き上げたネットワーク力によるものでしょう。
  しかし…前田が引退した後は次のエースが存在せず。きっと、前田の傍に居るのって、前田の言う事を聞く様な人間だけですから。02年に活動休止。

  また前田はトラブルメーカーであり、試合以外での他選手への暴行事件は数知れず。なのにマスコミを通じて口撃をくり返した安生さんから、リングスのベイNKホール大会バックステージで襲撃を受けて殴られた際は、これを刑事事件として訴えてしまいました(略式起訴で罰金20万円。安生さんは前科者になって しまい、しばらく表舞台に立てませんでした)。パンクラスの尾崎社長も外国人選手引抜きの疑いをかけられて、ホテルのロビーで胸ぐら掴まれて壁に叩き付けられております。

  その後もリングスは会社組織としては継続しており、08年以降はアマチュア格闘技大会の【OUTSIDER】を開催しています。
  これは元不良(と言いつつ、どう見ても現役も…)たちが対戦する大会で、毎回の様にセコンドや応援団同士が乱闘騒ぎを起こすので、選手だけでなく観客まで もボディチェックを受けたり、私服警官が目を光らせてたりする凄い格闘技大会です。
  でも、この乱闘を一喝して収めてしまう前田自身が一番…。アンタやっぱ凄いよ!議員にならなくって正解だよ!!


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  これらとちょっと違う流れにある「U」が、98年にアントニオ猪木が引退の前後に立ち上げた【UFO】です。
  第一次UWFの功労者である佐山聡(格闘技色・競技性の高い、U系ルールの基礎を作ったが、これにより他の選手との軋轢も生んだ)を迎え、小川直也を擁 し、新日プロとの喧嘩マッチなどで話題になりましたが、自主興行は数える程しか行っておりません。
  03年に総合格闘技ブームに乗って東京ドーム大会「レジェンド」を開催しましたが、会見で社長が「今回は全部、真剣勝負です」と言ってしまったり(じゃ、今までは…?)、メーンで小川と戦ったマットガファリが「コンタクトがズレた」と泣き言を言ったりして、アメリカの「レスリング・オブザーバー」賞でワースト興行賞に輝いてしまいました。
(ちなみに次点がWJプロレスの「X-1」だったんですけど…)


  その佐山は第一次UWF消滅後(87年以降)、【修斗】や【掣圏道】といった新格闘技を立ち上げ、最近ではそれらの組織を母体とした興行【リアルジャパン プロレス】(初期は「真・日本プロレス」と仮称していた)を興し、主にロートル…否、昭和のスター達を集めて興行を行っています。


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  離合集散の激し過ぎるプロレス界においても、本当に理想を掲げて分派していったのは、UWF系だけだった気がします。

  さて、この連載は全4回、駆け足で振り返って書いておりましたが、系譜としてはこれでおおよそのインディー団体は追えたと思うのです。…あ、女子プロレス に触れてないのは、差別するわけではなく、情報に疎いのと、「芸能」色が強いからなんですけど。
  90年代にバブルの残り香を嗅ぎながら大量発生したプロレス団体は、2000年代初頭には女子プロや格闘技系も含めると、40団体くらいになっていたそうですが、それもプロレス人気の下火によって現在は半分以下だと思います。

  また最近増えたのは、道場を持たずに、フリーの選手や他団体からのレンタル選手だけで単発の興行を行う、イベントスタイルのプロレスです。会社登記もして いないであろうケースもあります。
  一時隆盛を誇った【ハッスル】、天龍の【天龍プロジェクト】、菊タローの【アキバプロレス】、NOSAWA論外の【NOSAWA-BON-BA- YE!】、バラモン兄弟の【大バラモン展】…
  こういった大会はバラエティに富んだ選手や試合が見られるので、ハズレが少なくて良いです。


  しかしながら、どこの系譜にも引っかからない、いわゆる「どインディー」なんかも触れてみたいと言えば触れてみたい気はします。
  次に書く機会があったら、埼玉プロレスとか、華☆激とか、語ってみようと思います。