NHK歴史秘話ヒストリア「ウルトラマンと沖縄~脚本家・金城哲夫の見果てぬ夢~」見ました。
よくぞやってくれたNHK…一言で言ってしまうと、そんな感想を抱いた番組でした。
おおよその内容は、例えばかつて書籍「怪獣学!入門」「ウルトラマン昇天」等を読んだであろうマニア・オタク層には、既知の物であったろうと思います。
しかし大切なのは、これが子供向けでもオタク向けでもなく、一般向けのNHK地上波プライムタイムでの番組で特集されている、という事ではないでしょうか。
たった20年来の金城哲夫ファンとしても、大変に嬉しく思いました。
なぜ20年と言う中途半端な年数かというと、それは…90年代前半に起こった、ゴジ論・ウル論ブームから説明してみます。
それは金城哲夫という早逝の大作家が、オタク以外にも認知されていく過程だった、とも言えますから。
(なお近代史に疎い人の為に基礎知識として、沖縄は太平洋戦争末期に国内で唯一の地上戦が行われてしまった場所であり、そして1972年(ウルトラマンAの頃)に本土復帰するまで、終戦から実に27年間に渡ってアメリカの占領が続いていた…という事を前提に読んで下さい)
× × × ×
よくぞやってくれたNHK…一言で言ってしまうと、そんな感想を抱いた番組でした。
おおよその内容は、例えばかつて書籍「怪獣学!入門」「ウルトラマン昇天」等を読んだであろうマニア・オタク層には、既知の物であったろうと思います。
しかし大切なのは、これが子供向けでもオタク向けでもなく、一般向けのNHK地上波プライムタイムでの番組で特集されている、という事ではないでしょうか。
たった20年来の金城哲夫ファンとしても、大変に嬉しく思いました。
なぜ20年と言う中途半端な年数かというと、それは…90年代前半に起こった、ゴジ論・ウル論ブームから説明してみます。
それは金城哲夫という早逝の大作家が、オタク以外にも認知されていく過程だった、とも言えますから。
(なお近代史に疎い人の為に基礎知識として、沖縄は太平洋戦争末期に国内で唯一の地上戦が行われてしまった場所であり、そして1972年(ウルトラマンAの頃)に本土復帰するまで、終戦から実に27年間に渡ってアメリカの占領が続いていた…という事を前提に読んで下さい)
× × × ×
80年代後半、新作は無いものの再放送やキャラクターグッズの人気が手伝って、第四次怪獣ブームが起こります。
当時の円谷プロは三代目・円谷皐社長(円谷英二の次男)の元、減量経営中でしたから新作ウルトラは作れず、しかし親子二代のファンが増えてきた事から、過去作品の再放送だけでなく俳優へのインタビューや、製作現場の裏側などへ話が行く訳です。
(87年に深夜放送されたウルトラQ・ウルトラセブンに、泉麻人による解説コーナーを付けた事が大きいと思う)
そこへ90年発行の「ウルトラマン研究序説」という、今で言う謎本のハシリの様な本で、本物の学者先生方がウルトラマンを法的・科学的に解釈するというベストセラーがありました。
しかしこの本はあくまでウルトラマンを即物的なものとして捉え、しかも一部に見下したものや否定的な表現が見受けられたため、熱心なファンはこれに怒りました。
(例えば、ジャミラを殺してしまったウルトラマンの正義を否定しているけれど、それはウルトラマンにジャミラを理不尽に殺させることで、その向こうに描こうとしたテーマが有った訳ですよ!)
おりしも湾岸戦争の後始末で自衛隊派遣の是非が問われていた時代ですから、安保・基地・沖縄という繋がったテーマで語られる事も多くなります。
(この本で使われた「引き裂かれた博愛主義者」という見出しタイトルが、沖縄と本土の間に揺れた金城さんの立場をよく表していると思う)
そんな中で金城哲夫個人にスポットを当てたのが「ウルトラマン昇天」。
金城哲夫と東京で高校の同級生だった作者が、その金城の足跡を訪ね、記した本です。
(この本ではより詳しく、金城一家が地上戦の避難中に母親が被弾し、防空壕の中で麻酔無しで片足を切断する…といった生々しい表現などがあります。なんで わざわざこんな話を持ち出すかというと、そうやって地獄を見たはずの人間が、単純な「反戦」や「報復」といった論ではなく、沖縄と本土との間に立って大きく物事を見ていた…という事への驚きなんですけど)
これは「ウルトラマンを創った男」というタイトルに変わって文庫化(朝日文庫)されているので、興味持った方は読んでいただくと良いと思います。
(ただ「ウルトラマンのデザインはスタッフが意見を出し合って、成田亨がそれをまとめた」という表現はちょっと違っていて、カラータイマー以外は成田氏によるオリジナルデザインです。円谷プロは成田氏との間に、デザインの報酬等を巡っての軋轢があったのですが)
この辺りから新聞の書評欄などでもそれ系の本が紹介され、「ウルトラマン」(そして金城哲夫)が単なるキャラクターを越え、文化的な位置付けをされていったと思います。
私は読んでいませんが、小林よしのりの「沖縄論」でも、金城さんに触れるくだりがあるはずです。
× × × ×
そしてもう一つ、この時期、ウルトラの製作現場を舞台にしたTVドラマが多数製作されました。
89年「ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟」は、TBSから初期円谷プロに出向していた実相寺昭雄監督の自伝をモデルにしたドラマ。ここら辺から増えます。
その多くは当然ながらTBS製作でしたが、93年にはNHKが二週に渡り、SPドラマ「私が愛したウルトラセブン」を放送します。
これは初期から円谷プロに参加していた市川森一氏による脚本で、史実とは異なる創作も多いのですが(ベトナム戦争への徴兵を拒否して脱走した米兵を、円谷プロの撮影隊が匿う、とか)、“当時の円谷プロの人々”を描こうとしたドラマであった事は確かです。
このドラマのラストでは、佐野史郎演じる金城さんが円谷プロを退社し、沖縄に向かうフェリーに乗り込む際、アンヌ役ひし美ゆり子(演ずるは田村英里子…時代を感じる…)に言うんですよ。
「僕は、あの悲しい島と、運命を共にしてみたい」
(このドラマ、後に上原正三さんは「あれはあくまで市川の見た円谷プロだから」って言うんですけど。ちなみに上原さんを演じてたのは仲村トオル…違い過ぎるやろ)
なお90年代に続くブームの渦中にあっても、当時の円谷プロは国産の新作を作れずにいました。
(ウルトラマングレートはオーストラリア製作、ウルトラマンパワードはアメリカ製作)
しかしこうした経緯を経て、93年には念願の円谷プロ新作「電光超人グリッドマン」が。
94年には日本テレビ(!)での新作特番「ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦」「ウルトラセブン 地球星人の大地」が放送、国産の新作ウルトラへの期待が膨らみ、
96年にはついに16年ぶりの新作ウルトラ「ウルトラマンティガ」の放送に至ります。このティガの49話(脚本は上原正三!)では、主人公が1966年の円谷プロにタイムワープするという内容で、初代マン執筆中の金城さんが登場します。
(ただし、95年に円谷皐社長が亡くなり、国内で再び新作を作る様になってから、社長が親族間で頻繁に替わったり、関連会社が沢山立ち上がったりして、結局は負債が膨らんで2007年・2010年に二度にわたって身売りという事態を起こす…)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/17/news055.html
× × × ×
で、話はNHK「ヒストリア」に戻る。
概ねの感想は冒頭で述べた通りですし、他の感想もきっと、他の多くの人達と一緒でしょうから、まぁ、そんな細かくは言いませんが。
あえて言うなら、今までのどの映像よりも、故郷・沖縄と、本土との間に立とうとして もがく姿に、スポットが当たっていたのが印象的でした。
ただ、金城さんがウルトラマンやセブンに込めていた問題意識は…例えば沖縄の基地問題も、大国の振りかざす“正義”も、実は現在もなお続いてる話なんだ…という事は書いておきたい。
ウルトラマンもウルトラセブンも、最終回にほぼ同じセリフが使われています。
「地球の平和は、地球人の手で護ってこそ、価値がある」
ここでいう「地球」が何の意味かは、きっと分ると思います。
当時は「アメリカの傘に入る」「自衛力すら反対」の二極論が幅を利かせていた時代ですから、これが必ずしも多くの日本人には受け入れられなかったのは、想像に難くありません。
金城哲夫は決して、普遍的なテーマを描いたつもりではなかったように思う。
しかし誰もが、そこにあった問題を、解決させようとしなかったんです。40年経っても。
× × × ×
話は飛びますが同郷の沖縄出身で後輩の上原正三さんは、ここをもっとハッキリとした“怒り”で捉えてるんですよ。
だから上原さんの描いた「帰ってきたウルトラマン」は、毎週の様に東京が壊滅したり、正義のヒーローが時には無力であったりするんです。
それは、氏いわく「沖縄を盾にして生き延びた」本土への、強烈なメッセージでもあります。
最近?では「宇宙船」vol.76(96年秋号)のインタビュー(オーレンジャーが終わった半年後)で、上原さんは「平和な島を勝手に戦争に巻き込んで、 今度はアメリカにポイとくれてやって、厚顔にも安い免税品を買いあさりに来る」と、占領下の沖縄での本土人への心象を語っております。
また「ウルトラマンは金城の作ったものが完成形で、自分達はそのバリエーションに過ぎない」とも。
あ、話がそれた。
しかし金城さんは沖縄と本土との間で引き裂かれたけど、上原さんはより沖縄からの目線で物を言っていた…にも関わらず、その後は円谷プロ以外にも東映で戦隊・宇宙刑事シリーズなどなど多くの児童番組に参加して成功してるのは、比較してみると面白いかも。
× × × ×
あぁ、ここで語ってる様な事って結局、80年代以降のマニアやオタクがずっと繰り返してきた話のまとめなんですけどね。
でもここ読んでるのって、マニアだけじゃなくって、特撮といえば東映しか知らない様な人もいますから。
より多くの人の心に、“脚本家・金城哲夫”が残らん事を願います。
・歴史秘話ヒストリア「ウルトラマンと沖縄」再放送予定
BS2 平成22年 9月22日(水) 08:15~
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/57.html
当時の円谷プロは三代目・円谷皐社長(円谷英二の次男)の元、減量経営中でしたから新作ウルトラは作れず、しかし親子二代のファンが増えてきた事から、過去作品の再放送だけでなく俳優へのインタビューや、製作現場の裏側などへ話が行く訳です。
(87年に深夜放送されたウルトラQ・ウルトラセブンに、泉麻人による解説コーナーを付けた事が大きいと思う)
そこへ90年発行の「ウルトラマン研究序説」という、今で言う謎本のハシリの様な本で、本物の学者先生方がウルトラマンを法的・科学的に解釈するというベストセラーがありました。
しかしこの本はあくまでウルトラマンを即物的なものとして捉え、しかも一部に見下したものや否定的な表現が見受けられたため、熱心なファンはこれに怒りました。
(例えば、ジャミラを殺してしまったウルトラマンの正義を否定しているけれど、それはウルトラマンにジャミラを理不尽に殺させることで、その向こうに描こうとしたテーマが有った訳ですよ!)
この後に「研究序説」へのアンチテーゼとして、宝島ムックとして刊行されたのが91年の「怪獣学!入門」。
ウルトラマンや怪獣映画を“作品”として捉え、金城哲夫や上原正三・市川森一らの作家性にページを割きます。後で読むと偏った論も多いのですが、しかしそ れまで同人誌や専門誌でのみ語られていた作品論が商業ベースで成立した事は大きく、この後いわゆる“ゴジ論”(ウル論)ブームが起こります。おりしも湾岸戦争の後始末で自衛隊派遣の是非が問われていた時代ですから、安保・基地・沖縄という繋がったテーマで語られる事も多くなります。
(この本で使われた「引き裂かれた博愛主義者」という見出しタイトルが、沖縄と本土の間に揺れた金城さんの立場をよく表していると思う)
そんな中で金城哲夫個人にスポットを当てたのが「ウルトラマン昇天」。
金城哲夫と東京で高校の同級生だった作者が、その金城の足跡を訪ね、記した本です。
(この本ではより詳しく、金城一家が地上戦の避難中に母親が被弾し、防空壕の中で麻酔無しで片足を切断する…といった生々しい表現などがあります。なんで わざわざこんな話を持ち出すかというと、そうやって地獄を見たはずの人間が、単純な「反戦」や「報復」といった論ではなく、沖縄と本土との間に立って大きく物事を見ていた…という事への驚きなんですけど)
これは「ウルトラマンを創った男」というタイトルに変わって文庫化(朝日文庫)されているので、興味持った方は読んでいただくと良いと思います。
(ただ「ウルトラマンのデザインはスタッフが意見を出し合って、成田亨がそれをまとめた」という表現はちょっと違っていて、カラータイマー以外は成田氏によるオリジナルデザインです。円谷プロは成田氏との間に、デザインの報酬等を巡っての軋轢があったのですが)
この辺りから新聞の書評欄などでもそれ系の本が紹介され、「ウルトラマン」(そして金城哲夫)が単なるキャラクターを越え、文化的な位置付けをされていったと思います。
私は読んでいませんが、小林よしのりの「沖縄論」でも、金城さんに触れるくだりがあるはずです。
× × × ×
そしてもう一つ、この時期、ウルトラの製作現場を舞台にしたTVドラマが多数製作されました。
89年「ウルトラマンをつくった男たち 星の林に月の舟」は、TBSから初期円谷プロに出向していた実相寺昭雄監督の自伝をモデルにしたドラマ。ここら辺から増えます。
その多くは当然ながらTBS製作でしたが、93年にはNHKが二週に渡り、SPドラマ「私が愛したウルトラセブン」を放送します。
これは初期から円谷プロに参加していた市川森一氏による脚本で、史実とは異なる創作も多いのですが(ベトナム戦争への徴兵を拒否して脱走した米兵を、円谷プロの撮影隊が匿う、とか)、“当時の円谷プロの人々”を描こうとしたドラマであった事は確かです。
このドラマのラストでは、佐野史郎演じる金城さんが円谷プロを退社し、沖縄に向かうフェリーに乗り込む際、アンヌ役ひし美ゆり子(演ずるは田村英里子…時代を感じる…)に言うんですよ。
「僕は、あの悲しい島と、運命を共にしてみたい」
(このドラマ、後に上原正三さんは「あれはあくまで市川の見た円谷プロだから」って言うんですけど。ちなみに上原さんを演じてたのは仲村トオル…違い過ぎるやろ)
なお90年代に続くブームの渦中にあっても、当時の円谷プロは国産の新作を作れずにいました。
(ウルトラマングレートはオーストラリア製作、ウルトラマンパワードはアメリカ製作)
しかしこうした経緯を経て、93年には念願の円谷プロ新作「電光超人グリッドマン」が。
94年には日本テレビ(!)での新作特番「ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦」「ウルトラセブン 地球星人の大地」が放送、国産の新作ウルトラへの期待が膨らみ、
96年にはついに16年ぶりの新作ウルトラ「ウルトラマンティガ」の放送に至ります。このティガの49話(脚本は上原正三!)では、主人公が1966年の円谷プロにタイムワープするという内容で、初代マン執筆中の金城さんが登場します。
(ただし、95年に円谷皐社長が亡くなり、国内で再び新作を作る様になってから、社長が親族間で頻繁に替わったり、関連会社が沢山立ち上がったりして、結局は負債が膨らんで2007年・2010年に二度にわたって身売りという事態を起こす…)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/17/news055.html
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で、話はNHK「ヒストリア」に戻る。
概ねの感想は冒頭で述べた通りですし、他の感想もきっと、他の多くの人達と一緒でしょうから、まぁ、そんな細かくは言いませんが。
あえて言うなら、今までのどの映像よりも、故郷・沖縄と、本土との間に立とうとして もがく姿に、スポットが当たっていたのが印象的でした。
ただ、金城さんがウルトラマンやセブンに込めていた問題意識は…例えば沖縄の基地問題も、大国の振りかざす“正義”も、実は現在もなお続いてる話なんだ…という事は書いておきたい。
ウルトラマンもウルトラセブンも、最終回にほぼ同じセリフが使われています。
「地球の平和は、地球人の手で護ってこそ、価値がある」
ここでいう「地球」が何の意味かは、きっと分ると思います。
当時は「アメリカの傘に入る」「自衛力すら反対」の二極論が幅を利かせていた時代ですから、これが必ずしも多くの日本人には受け入れられなかったのは、想像に難くありません。
金城哲夫は決して、普遍的なテーマを描いたつもりではなかったように思う。
しかし誰もが、そこにあった問題を、解決させようとしなかったんです。40年経っても。
× × × ×
話は飛びますが同郷の沖縄出身で後輩の上原正三さんは、ここをもっとハッキリとした“怒り”で捉えてるんですよ。
だから上原さんの描いた「帰ってきたウルトラマン」は、毎週の様に東京が壊滅したり、正義のヒーローが時には無力であったりするんです。
それは、氏いわく「沖縄を盾にして生き延びた」本土への、強烈なメッセージでもあります。
最近?では「宇宙船」vol.76(96年秋号)のインタビュー(オーレンジャーが終わった半年後)で、上原さんは「平和な島を勝手に戦争に巻き込んで、 今度はアメリカにポイとくれてやって、厚顔にも安い免税品を買いあさりに来る」と、占領下の沖縄での本土人への心象を語っております。
また「ウルトラマンは金城の作ったものが完成形で、自分達はそのバリエーションに過ぎない」とも。
あ、話がそれた。
しかし金城さんは沖縄と本土との間で引き裂かれたけど、上原さんはより沖縄からの目線で物を言っていた…にも関わらず、その後は円谷プロ以外にも東映で戦隊・宇宙刑事シリーズなどなど多くの児童番組に参加して成功してるのは、比較してみると面白いかも。
× × × ×
あぁ、ここで語ってる様な事って結局、80年代以降のマニアやオタクがずっと繰り返してきた話のまとめなんですけどね。
でもここ読んでるのって、マニアだけじゃなくって、特撮といえば東映しか知らない様な人もいますから。
より多くの人の心に、“脚本家・金城哲夫”が残らん事を願います。
BS2 平成22年 9月22日(水) 08:15~
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/57.html
「成田亨 金城哲夫」で検索したら、こちらのブログにたどり着きました。
>「ウルトラマン昇天」「ウルトラマンを創った男」
成田氏の遺稿集でも「こんな人は本を出版してはいけない」と書き捨てられている程、記述に誤りが目立ち、文庫化の際の『宇宙船』での書評でも取材の不備が指摘されて、酷評気味でした。
ただ、この書評の「『ウルトラマンを創った男』と断定してしまうのはどうか」という一文については、『宇宙船』側に違和感を感じました。
当時の『宇宙船』側の論拠は「『ウルトラマン』はグループ・ワークで作られ、TBS側の主張も多く取り入れられた」という点らしいのですが、まるで、「ウルトラマンのデザインはみんなで考えて作った」と言いふらしてた円谷プロに擦り寄るみたいな印象すら受けました。
成田亨氏が亡くなられた時、読者の追悼文についても、次号で「ウルトラマンを作ったのは、多くのスタッフの努力によるもので、成田氏はその一角にすぎない」という反論を掲載していました。
確かに、映画やTVドラマは一人では作れないし、多くのスタッフが必要なのは否定しません。
しかし、それが個々のスタッフの、それぞれの役割分担での功績を過小評価する事の正当性になり得るとは思わないです。
文芸面では金城哲夫、美術面では成田亨が最高責任者であった事は事実であり、この二人が事実上の「原作者」だった事は否定出来ないと思います。
そういう意味で「『ウルトラマンを創った男』と断定してもいいよ」と言いたいです。