■シネマ歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」
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   最高だった…。

   昨年末の「さよなら歌舞伎座公演」中に上演された、宮藤官九郎の作・演出舞台を撮影して編集した映画なのです。
   カンタンに内容をお伝えしますと、白塗りの歌舞伎役者達が血のりをベットリ付けて、太鼓と琴のリズムに乗って大勢で踊り狂いながら、腕を引き千切ったり、臓物を貪り合ったりする、ソンビでポップでファンキーでクレイジーでスプラッターで純愛な、コメディでした。

   …よく分かりませんか。そうですか。
   以下、核心のネタバレは避けつつ。

×   ×   ×   ×   ×
   新島からやって来た半人前のクサヤ職人・半助は、先に島を出て江戸に来ていたクサヤ売りの未亡人・お葉の元へ、彼女を追いかけてやってきた。
   相手にもされない半助だが、あきらめる様子はまるで無し。

   その頃、江戸の色町で夜な夜な、屍が動き回って女郎や客を食い殺すという事件が続いていた。
   奉行所はそんな屍達を引っ捕らえ、御白州にかけて、火あぶりの刑を言い渡す。
   そこへ飛び込んできたのが先の半助。

   実は新島では、半助が作ったクサヤ汁をかけられた死体が動き出して人を襲い出し、島は生ける屍に占拠され、それが江戸まで渡ってきたと言うのだ。
   島ではあまりの臭さに鼻の存亡に関わる=「存鼻(ぞんび)」と呼ばれていた彼らは、自分達と同じクサヤの匂いがする半助は襲わず、言う事も聞くのであった。
   死んでる以外は生きてる人間と同じ…死生観や人権問題の狭間でゾンビ達の処遇に窮した奉行に、半助は口八丁にアイデアを持ちかける。
   ゾンビ達を集めてちゃあんと仕込み、人の嫌がる仕事・危険な仕事を安い賃金で請け負ってやろうじゃないですか…!
   かくして江戸の町に、腕は半人前・口だけ一人前の半助を元締めに、屍達を働かせる人材派遣業「はけんや半助」が誕生し、ゾンビ改めハケン達の仕事が始まった。

   一年後。
   すっかり大きくなった「はけんや半助」で、ハケン達は今日も多くの仕事を請け負い、読み書きを習う。
   ハケン達からのピンハネで裕福になった店主の半助は、店で働く事になっていたお葉に求婚する。
   しかしお葉は、島一番のクサヤ職人だった行方知れずの夫・新吉の事が忘れられない。
   そんな折、一人の野良ハケンが江戸の町をうろついていた。それは変わり果てた姿のお葉の夫・新吉であった。
   お葉を失いたくない半助は、新吉とお葉を会わせない様、今度こそ息の根を止めようとするが…

   …そして今や江戸の町は、低賃金のハケン達のおかげで幕府の財政も潤い、景気も回復。
   しかし今度はハケンに仕事を奪われて、生きてる人間達が失業し、職にあぶれ出す。

   まるで生きてるみたいな屍達。
   死んだ様になってしまった人間達。
   生きてるんだか死んでるんだか分からないまま放浪する半助。
   ある日、ついにそれぞれ溜め込んでいた不満が爆発し、江戸は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す…

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   実写版「真夜中の弥次さん喜多さん」でもそうだったけど、クドカンって“生と死”とか“夢と現”とかが、次第に交錯していって、結局どっちなんだか分からなくなるような…実は生も死も、夢も現も、あんまり違わねぇんじゃねぇか…?ってな世界観作りが得意です。
   「弥次喜多」の時はそれがちょっとカオス過ぎて、個人的な理解の範囲超えちゃったんですけど(監督本人がヤクやっちゃってんじゃないか?と本気で案じ た)、歌舞伎とか演劇っていうのは、そんなカオスな表現すら飲み込んで目の前でどんどん展開していくんで、不条理でも飲み込めてしまうんですよね。

   …などと書くと何やらシリアスムードに感じますが、冒頭で申し上げた通りです。
   社会風刺も愛憎劇も添え物に過ぎず、宮藤官九郎の一番やりたかったのは、それこそパンフレット記載の通り「歌舞伎座の花道をゾンビで埋め尽くしたい」なんでしょうね!

   正直、ホラーは苦手なので、昨今のゾンビブームや、周りで熱心にゾンビの魅力を語る人が居なかったら、いくらクドカン(&しりあがり寿)作品と言っても食指は動かなかったかもしれませんが…。
   今まで見てきたゾンビ作品の中で、最高の一作!でした。
(バタリアン1,2、ペットセメタリー位しか見てないけど。つまりホラー苦手な人でも笑いながら見られるという事)

   全国ロードショーのくせに東京でも3カ所でしか上映されておらず(銀座の東劇では12/10まで)、見る機会は限られてると思いますが、できればもう一回見たい位の出来でございました。