※2014年、スポーツナビが過去記事をまとめて削除してしまったので、ほぼリンク切れてます。

WJ時代の遺恨再燃!! KENSOと大森が一騎打ち&世界タッグで激突=全日本プロレス スポーツナビ
 ついに…8年の時を経て、遺恨凄惨…なんですね!?
 もう、期待大ですッ!(どんな塩試合になるんだろう)

 おおもりさんとケンゾーの遺恨については、この辺を参照。
http://archive.sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/live/200307/20/a08.html
(この直後にケンゾーはWJを離脱した)

 元はと言えば、当時はプロレスリング・ノア所属のままアメリカ遠征中だった大森隆男(おおもりさん)を、WJの永島専務が引き抜いたんですね。
 んで、まだ若手の鈴木健想(KENZO)にぶつけてライバル関係…というか噛ませ犬にしようとしたんですわ。(他団体の選手を引き抜いて噛ませ犬に使う、というのは、新日プロのよくやるテだった)
 大森にしてみれば古巣のノアに、健想にしてみれば古巣の新日プロに、それぞれ「みてやがれ!」といった気概は有ったと思うんですね。
 ところが新天地の筈のWJプロレスは旗揚げ数ヶ月でボロボロの状態になり、トラブルや選手離脱が相次いで、そんな抗争ストーリーどころじゃ無くなってしまった。

 そう。
 2002年にオーナーのアントニオ猪木との確執から新日本プロレスを飛び出した“革命戦士”長州力“仕掛け人”永島勝司(通称:ゴマシオ。東スポから新日プロのフロント入り)が、あちこちから選手を引き抜き、タニマチの福田政二社長(の財力)を巻き込んでぶち上げた虚城、ワールド・ジャパンプロレスWJプロレス

 実質一年で活動停止に陥りながら、ひたすら業界の内外に金と迷惑をバラ撒いた、プロレス史に残るその栄光と挫折の歴史を…マァ、アレだ。かいつまんで、ラックリ振り返ってみようじゃないか。ナァ、金沢!(長州の口癖)

× × × × × 
 
2003年〜
3月
 しかしシリーズ開始後、目玉だった長州vs天龍のシリーズ全6連戦が、3戦目を最後に天龍の負傷により中止
(しかし後に、負傷したのは長州の方で、長州の顔を潰さない為に、天龍が代わりに泥を被っていた事が明かされる)
 長州は自身の欠場を「謝るとかそういうのは俺の中にはないんですよ」と開き直る。

4月
 大仁田厚先生(衆議院議員)が熱心にマスコミを集めて煽り、フリー参戦なのに最も宣伝に協力。
 この初期シリーズ頃、わが町・船橋アリーナでも興行打ってたんだなァ。天龍いなかったから行かなかったけど。

6月
 相模原大会中止。旗揚げ3ヵ月目にして初の中止。以降、頻発する。
 この辺から既にヤバイ空気が流れる。
(03年内だけでも、半年間に8回の中止…
 海外遠征先から(国内プロレス界の事情を知らず)引き抜かれた大森には、最初は「おおもりさん逃げてー!」と同情的だったファンも、試合中でも大森の目が泳いでいる様子を「スイミングアイ」と呼んだり、あまりのふがいなさに名前の画数を剥奪して、大森→木ノ→オノ→「 」、などといった呼ばれ方がネットスラング的に定着していく。

7月
 ガラガラの場内にまばらな拍手、優勝は佐々木健介。しかしベルト製作が間にあわず、ベルト無しで初代王者が誕生ベルトの披露は翌月に持ち越された
 同日、トーナメント以外でドン・フライvsビッグ・ベイダーが行われ、勝利したベイダーがWMGへの次期挑戦者に決定するが…

 WJ道場へ出稽古に来ていた格闘家・ジャイアント落合が、練習中に意識を失い、死亡する事故が発生。事件性は無かったが、この際の対応に誠意があまり感じられず、団体の求心力をさらに低下させる。
 
8月
 大阪で初代WMGタッグ王座決定トーナメント。優勝は長州&天龍のコンビ。しかしその後、一回も防衛戦を行う機会は無かった。
 同日、健介がWMGヘビー級の初防衛戦。しかしベイダーのドタキャンにつき、対戦相手がダン・ボビッシュへ変更。

 鈴木健想が離脱し、ナンヤカンヤあってその後、アメリカのWWEへ。

 天龍が正式入団すると発表。しかし本当は正式契約はしておらず、不審のWJの話題作りに協力する為だったという。
 天龍、漢だな…。

9月
 金網での総合格闘技「X-1」開催。15歳の中嶋君をノールールの金網マッチで試合させてしまう。
 しかも大会中、金網が倒れてしまい、スタッフらが手で押さえる。
 この大会の為に会社に500万円を貸していた(返ってこなかった)健介は試合で指を骨折。あんまりにも…

 選手兼営業だった谷津嘉章が退団。「チケットが売れたら長州の手柄。売れなかったら営業のせい」と不満をぶちまけ、経営危機を暴露。

 天龍まで離脱。「去る夏に、200キロプレス、何思う」の句を残して。

10月
 なぜか後楽園ホール大会の日程がキックボクシング大会と重なっており、既にチケットは発売されている状態。
 不審に思った2ch住民が問い合わせた事で、会場をダブルブッキング…というか、予約したつもりで確認や正式契約をしていなかった事が発覚。直後の東スポに「諸般の事情により中止」と出る。あまりにもズサンな運営。

 また、選手のギャラを40%ダウンする代わり、専属契約を解除。大森・越中らが他団体へ積極的に出撃。そして戻らず。
 出版業の宮崎満教(有名人ヘアヌード商法)を新社長に立てようとするも頓挫。

11月
 長州がゼロワンの橋本の会見に乱入し、かの有名な「何がやりたいんだ!!コラ!紙面飾ってコラー!」「何がコラじゃ!」の、コラコラ問答を発生させる。


 全社員を解雇し、契約社員へ。

 佐々木健介、ついに離脱。WMG王座は空位となる。

12月
 ゼロワン両国大会に長州と若手ら4人チームでメーンに登場。長州は大会直前にヒラメ筋断裂を負いながら、ゼロワン選手全員(!)との勝ち抜き総力戦。
 グダグダのまま、7戦目で長州が橋本に敗れる。

 31日をもってWJ公式サイト終了。最後はweb担当スタッフの更新祭りに。

2004年〜
1月
 後楽園ホール大会で中嶋君が正式デビュー。15歳9ヵ月、国内最年少デビュー記録。

 札幌テイセンホール2連戦。
 しかし大雪で飛行機がUターン、当日の現地入りが出来ず、代わりに翌日を昼夜2大会連続で開催して、チケット返金はせず。この大会で福田社長は撤退。事実上、団体としては1年持たなかった。

 この時期に巡業バスに使っていた業者が、無免許の白タクだった事が判明。

2月
 公式サイト突然の復活。しかしGIF動画を使い過ぎて、TOPページだけで11MBとゆー膨大な容量。誰が見るんだ。

 ゼロワン両国大会で長州vs橋本のシングル決着戦。しかし興行としては失敗により、ゼロワンが両国から撤退を発表。
 WJは誰も幸せにしない…

3月
 1周年記念の後楽園ホール大会。永島専務が「いろいろありました。挫折も栄光も…」と挨拶。
 長州がハッスルへ参戦。さらに今まで馬鹿にしていた筈のインディー系にも。

4月
 中嶋君が退団、健介オフィスへ。そして新日プロ東京ドーム大会でライガー相手に大健闘

 後楽園ホール大会を最後に、WJは正式に休止。
 そして社員だった立石史(通称:フミ)を代表に、新たに「リキプロ」が設立されるが…





 そして、伝説へ…





× × × × × 

 この後、タイガー服部レフェリー含め、あらゆる選手は新日プロへUターン。そして長州まで現場監督として新日プロへ復帰。
 しかし永島オヤジは帰れず、ナイガイタイムス(休刊)の編集長やったり。
 
 みんな、頑張って…というか、少しでも幸せになってほしい…


 さらにくわしくはファンサイト(?)「マグマ」のアーカイブを
 そういや、当時のアニメをパロって、プ力(りき)ュア、かナージャわ…とかのAAもありましたっけ


[関連はしてないけど、ついでに読むと面白そうな記事]
・ゼロワンが破壊王子をデビューさせるにあたって
 http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662684.html
・90年代インディープロレスの系譜
[1:FMW編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662612.html
[2:SWS編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662613.html
[3:みちプロ編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662616.html
[4:UWF編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662621.html



収録されているゴマシオ三部作、超必見!!