突然ですが、継続して買わせて頂いてる同人誌に、サークル「みちみち」さんの「カメラ小僧の裏話」シリーズがありまして、2012夏コミで発行された「カメラ小僧の裏話6」が特に面白かったので、冬コミ前日にこれを紹介させて頂きます。
http://miti2.jp/publishing.html#c82 
 

 基本的には、開始早々「駄チワワ氏の語るコスプレ文化発展の経緯には重要な視点が抜けている」ときて、僕がこれまでブログや書籍「コミケの教科書」への寄稿で語ってきた様なコスプレ史に対しての異論を…というか、同じ事象に対する、別の切り口で掘り下げる形になっています。
 この本では昨今起こっているエロコス系のROMも、ショウビジネス化も、その源流が“ネットアイドル文化の流入”にあるとして、

1. 既存のコスプレイヤー
(仲間内で完結し、外部に対して目立ちたがらない。コスプレイヤーの保守本流であり圧倒的多数、としている)
2. 表現志向コスプレイヤー
(ROM販売やステージイベントへの出演で、外部に向けて発信したがる層であり、外側から見て“コスプレイヤー”のイメージを形成されやすい、としている)
3. コスプレするネットアイドル
(ネットを介してファンと交流する企画として、コスプレを披露したり撮影会を行ったりしていた層、としている)

 …に大別していて、異なるハズの2と3がなぜ、混ぜられていったのか?…という考察です。
 このコスプレイヤーとネットアイドルの文化の違いを「絶対に混ざらないはずの水と油が何者かによって、気付かない内に混ぜられてドレッシング状態になっている」という、ちょっと陰謀論チックな比喩で切っています。

 この、いわば外向き指向のネットアイドル文化と、内向き指向だったコスプレ文化がどうやって混ざり(混ぜられ)、界隈にどんな恩恵やデメリットをもたらしたか…という視点には、離れた所から俯瞰して見ている立場であったろう、高い客観性を感じるのです。
 これはレイヤー視点に拘ろうとする僕には見えない部分だったので、素直に賛辞したい。

 ハッキリと断を下す文体や、コスプレイヤーをカテゴライズした図表の挿入や、読んでいて視覚的に認識しやすいのも、文章が長大かつ曖昧な表現になりやすい自分には、参考になりました。

 ただ、このシリーズ全般に言える事で、あくまで「カメラマンの視点からの“コスプレ”」語りだというのは、読む側においては忘れてはいけないとも思いました。
 カメラマンはあくまで美しい被写体の提供者を注視するから、コスプレやネットアイドル文化を全て俯瞰して見ていて、彼らだから見える部分も有れば、彼らだから見落とす部分も勿論あるでしょう。
 それはコスプレイヤーの視点に拘る自分にも言えます。
 だから文化史とは、多くの人間が、自分の言葉で語る事に、意味があるのです
 
(例えば「カメラ小僧の裏話4」でのレイヤーとカメラマンの関係に関する考察には、男装レイヤーの存在がほぼ抜けていると感じる)
(彼女ら男装系レイヤーは現在のコスプレの圧倒的ボリュームゾーンを占めながら、男性カメラマンから見るとオイシイ被写体ではないので、自分達でカメラの技術 を磨き、女子同士のお友達ネットワークによってカメラ需要を補います。だから男性カメラマンはあまり必要とされず、見えにくい・認識しにくい層だったろ う。宝塚がイメージしやすいかな。そしてコスプレイヤーから内側の人気を獲得するコスプレイヤーとは、こういった層なのです)

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 さて、これらの論説に一定以上の興味と説得力を感じつつ…。

 ただ、歴史や経緯の認識に、世代によるズレはあるかもしれない。
 90年代のコスプレ雑誌と現在のコスプレ雑誌を見比べれば、前者の方が外向き(コスプレを見たい男性読者向)に作られていて、後者の方が内向き(コスプレをしたい女性読者向)になっているのが分かるかと。
 昔のコスプレイヤーなんて今とじゃ比較にならない程に目立ちたがり屋ばっかりで、そーゆー人じゃないとコスプレしようと思わない時代があったから。
 本当は「ネットアイドル文化の流入の遥か以前から外向きの“表現志向コスプレイヤー”はいたけど、全体が拡大し低年齢化する中で、それらが隅に追いやられていった」のかもしれないな…と、読みながら思いました。個人的に。

 だから、表現志向コスプレイヤーとコスプレネットアイドルとが「水と油で交わらない物」だったかと言えばそんな事も無く、最初から似た様な物は混在していたんじゃないかと思う。大袈裟に言えば表裏一体の。
(ソフト的な意味。ハード的には、やはりネットアイドル文化の撮影会や画像公開の論法が、コスプレに与えた影響は、僕がサラッと流して書いたよりもずっと大きいのだろう)

 もちろんレイヤーやカメラマンやネットアイドルウォッチャーの視点で各々、「どこを注視して見ていたか」によって変わるかもしれないけれども。←何故こういった曖昧な表現を多用するのかは後述。
 だからこそ文化史とは、多くの人間が、自分の言葉で語る事に、意味がある。(2回目
 
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■ さあ、怒濤の弁明をしようじゃないか! ■

 この「カメラ小僧の裏話6」、僕の名前が随所に出てくる。
 駄チワワの言い分におおむね同意…としつつ、文面では辛辣な表現を交えて否定しているので、本音はそういう事なのかもしれません
 ただ冒頭に述べた様にこちらの感想は「僕が見えてなくて軽く流したネットアイドルの部分を、より深く掘り下げているな」なので、非常にいい所を突いてくれたというか、補完してくれる内容に受け取れる。異論や反論というよりかは「どちらも正しい」として成立する関係ではないか?と考えてるのだけど。

 でもさ、このネットアイドル文化への言及が殆ど無かった事を「駄チワワにとって都合が悪かったか、議論をミスリードするために敢えて伏せたと言わざるを得ない」ってのは考え過ぎだよ(笑) ブログでも書籍でも、文中には「コスプレするネットアイドルとクロスして~」って、少しばかり触れてはいるのだし。

 白状しよう!
 90年代以降のコスプレ文化は詳しいけれど、2000年前後のネットアイドル文化はよく分からないんだな。
 なぜなら我が家のネット普及が遅く、また2000年初期に少しコスプレから離れたいた頃があったので、その頃はプロレス系サイトしか見てなかった!
 デジカメ買ったのも2004年だし、毎日ネットをチェックする様になったのはmixiなどのSNSが流行ってからなので、2000年代初頭のネットアイドル文化って、疎いんですよ。
 僕はあくまでコスプレイヤー視点だから「外側から何か入り込んできたのかな」ってのは分かるけど、その源流まではよく分からない訳です。
 そこを掘り下げてもらうにはやはり、俯瞰して見ていた人に語って頂くのが良い訳です。この本のように。

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 ではなぜ、駄チワワの立場はチグハグなのか、議論が表面的だったか?(そう受け取られたか?)

 それは何度も言う様に、僕自身が最初から最後まで“コスプレイヤー”だからですよ。しかも遊園地系着ぐるみレイヤー。
 どこかで繋がってる他の仲間達を、そう簡単にカテゴライズしてレッテル貼れないのですよ。
 「貴方たちは白か黒かを見てるけど、僕はその間にあるグレーがどうしても気になっていた」から。

 コミケで販売停止食らったエロコスレイヤーが、日曜日の遊園地イベントでは着ぐるみで参加している光景しかり
 ショウ出演してたレイヤーが、翌週は友達だけで撮影会しかり
 普段はホール系イベントでしか身内でのコスプレしないコ達が、商店街のパレードには友達同士で参加して、一般人のカメラの前でポーズ決める姿しかり。
 それはこの「カメラ小僧の裏話」で定義された様な、保守本流で内向き志向な既存のコスプレイヤーと、ネットアイドル指向を取込んだ外向き表現指向コスプレイヤーの間を、グラデーションの様に動き回る存在な訳でして。
(外向き志向で本当に極端な白or黒なんて、それこそ、うしじま大先生くらいじゃない?)
 そんな白黒の間のグラデーションが見えてるから。そして僕自身が間で片足突っ込んで揺れちゃってるから。表現を曖昧にしてボカす例も多くなります。それは他からはチグハグに見られてしまうでしょう。

 なので僕の立場や論法にチグハグさが見えるのは認めた上で、もう、チグハグな自分を肯定する他は無く、どこがどうしてチグハグなのかは自分で説明しておく他は無く。
 その上で、それでもコスプレの内側にいる人間として思う事は言わせて頂きたいな、と。それが説得力を伴うかどうかは、読む側が決めてくれるでしょうから。

 勿論、より客観的な視点から掘り下げたり異論が出るのも、議論として健全だと思うのでありました。
 だからこそ文化史とは、多くの人間が、自分の言葉で語る事に、意味がある。(3回目!

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 「レイヤーのタレント化を良しとしない反面、ROM・撮影会・ショーなどに新たな可能性を感じているという駄チワワはチグハグな立場でありワガママ」というのも、鋭い指摘ですなー(笑)
 でも自分で都合良く言い換えたら「色んな“コスプレ”にスポットを当ててほしいけど、特定の“コスプレイヤー”ばかりにスポット当てないでほしい」って事なんですよ。利権やコネ優遇の人ばっかじゃなくって…あ、言っちゃった。
 そこを「駄チワワは品物欲しいけど代金払いたくないと言ってる様なもの」って比喩は…それが言い得てるかは、両方読んでみた人の判断に委ねようじゃないか。
 だから、ぜひ読んで頂きたい。
(あと引用されてた「切るのは最小限に、残すのは最大限に」って僕の発言は、あくまでコミケの枠の中での、エロROMジャンルと共存の話ね。コスプレ文化全体を指してる訳では無いですよ)

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 あ、そうそう。直接この本には関係ない話ですが、僕がやりたいのは「評論」ではなく「解説」です。
 脳内に池上彰を思い浮かべてください。ほれ。
 情報を整理して並べる事。そこに注釈を挟む事で、ハッキリと意見を入れて断を下す事はしません。
(並べ方や注釈の挟み方で、その人の意見が見える事はあります)

A.「彼もあくまで、カメラマンとしてコスプレを見ていたに過ぎないと言わざるを得ない」
B.「彼もあくまで、カメラマンとしてコスプレを見ていた側からの視点であると思います」

 …ホラ、同じ事を言ってるんだけど、読む側の受け取り方は違うでしょ?
 評論者の性として、どうしても難しい言葉を使いたがったり、何かを否定しないと自分の話ができなくなっちゃう傾向があるんで、それはしないように…。あくまで何が起こってるのか・問題は何か…を解説する立場でいたいものです。うん。


よろず評論サークル「みちみち」(12/31東5ホール“ノ”-07a)
 ハイ、もう一度!
 昨今のコスプレ界隈のROMやショウビジネス化の喧騒を、かつてのネットアイドル文化の流入(外側へ発信したい層の拡大)という観点から捉えた、一つの有用な資料となる同人誌です。評論サークル「みちみち」さんの「カメラ小僧の裏話」シリーズ。その6。
  上の方でも書いた様に、基本的に遊園地系着ぐるみレイヤーから見ると、撮影会系カメラマン視点でのコスプレ語りは「それ全体じゃねーだろ」って考察も見られるんだけど、でもタイトルの通り、彼ら視点からの“コスプレ”世界はこうなんだって前提で見ると、やっぱり興味深いです。
 他にも、自らが女装コスに挑戦するために体つきを改造しようと頑張ったという「女装男子研究本」シリーズも面白かったです。で、今回の(2012冬の)新刊はこっちのシリーズだそうです。

 こうして、あーでもない、こーでもないと言い合える時代というのが、どれだけ貴重なものであるかは、後で思い出す時が来ます。
 プロレスなんて、ファン同士が語り合えるだけの熱が、ジャンルに無くなっちゃいましたからね。



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