2022年12月末のc101、2023年8月のc102、立て続けに旧ドイツ軍つまりナチス軍服のコスプレの是非が議論になってますね。
 前者はアメリカ人の参加者がナチス軍服のコスプレを見て疑問ツイートした事が発端で、ご本人が後に撤回しています。
 後者はサークル参加していた専修大学戦史研究会がナチス軍服でサークルにいる告知画像をアップした事が発端で、後に広報写真として用いるには思慮を欠いていた(ナチス軍服コスそのものではなく広報写真としての投稿が)として謝罪しています。

 これらの騒動で度々持ち出されるのが、1996年の冬コミc51において発生した〝ナチス軍服抗議事件〟(あるいはナチス禁止事件とか、通称は統一されていない)です。
 同年の夏コミで新会場の東京ビッグサイトに移行してからまだ2回目の開催時とあって、既に27年が経過し、記憶が風化している人もいればSNSで当時の資料や証言が出ている部分もあるので、その後の波及も含めてちょっと振り返ってみます。
 結論を先に言うとコミケはナチス軍服コスプレを「禁止していない」のですが、そこに至る経緯もある訳で、禁止していない理由を含めて考えてみるべきではないでしょうか。0か100かの二元論ではなく。
 なお便宜上は「事件」と書きますが、これらは法的な意味での事件としては立件されたりはしていません。
 またナチス軍服コスプレはこの時期に突然発生した訳ではなく、それまでもコミケ内のミリタリーの一ジャンルとしてずっと問題なく存在し続けていた事も先に書いておきます。
 
・コミケ51でのドイツ軍コスプレ規制の経緯 - Togetter
(2016年に一水会の鈴木邦夫氏がナチス軍服でコミケに来て問題になった回想録をした事が発端)
https://togetter.com/li/1047396
・「コミケで見たコスプレヤー。アメリカ人としてよく理解できない」鉤十字腕章をつけたナチス軍服コスプレについて - Togetter
(c101における炎上の経緯)
https://togetter.com/li/2030245
・専修大学戦史研究会 今回の騒動について
(c102における炎上への謝罪)
https://twitter.com/senkenHQ/status/1691087294600474625
 
 上のTogetterまとめに準備会の当事者の方々から詳細が語られているので見てほしいのですが、まず基本的な流れとしては1996年の冬コミc51開催初日において、イスラエル大使館の関係者を名乗る人物から準備会と東京ビッグサイト側に連絡が入り、ナチス軍服の集団が参加している事に対しての不快感とマスコミを連れた抗議活動が予告された事から(大使の息子がコミケでナチス軍服の集団を見て泣いた、とも)、会場に迷惑はかけられないという判断からの緊急処置として軍服コスプレやビジュアル系バンドのコスプレからナチスの鍵十字を外してもらう対応が取られました。
 結局、この抗議活動は行われず、悪質な嫌がらせと見られていますが、当時の準備会の発行物ではこの「大使館職員と名乗る方」が本物か偽物かは明言されてはいません。
 また準備会がナチス軍服を規制した事への抗議活動を呼びかけるビラや葉書(当時はサークルカットに住所が記載されていたので)も出回ったようですが、こちらも実行されていません。
 〝イスラエル大使館職員を名乗ってコミケのナチス軍服への抗議活動を予告した人〟〝準備会のナチス軍服規制への抗議活動を呼びかけた人〟がマッチポンプを企てた同じ人物なのか、それとも別人なのかも明確には分かっていません。
 今だったら警察が動くレベルでしょうが、当時まだコミケが社会的に認知されておらず企業ブースにも一般的な有名企業や自治体が出展していない時期ですから、この件で誰かが逮捕された発表などもありません。
 どのみち、(イスラエル)大使館職員と名乗る人物は偽物であり、抗議自体が悪質なイヤガラセであろう…というのが通説となっています。

 2023年8月現在の拡散ツイートでは「大使の息子が抗議した」というようなものもありますが、本物だった可能性は極めて低いのです。

 1996年の時代背景を説明すると、連続幼女誘拐事件に端を発するオタクバッシングや有害コミック規制運動からの「コミケ幕張メッセ追放事件」からまだ6年しか経っておらず、新会場の東京ビッグサイト使用はまだ2回目。
 会場ともマスコミとも政治家とも、今ほど良好な関係は築けていない頃ですから、もしも本当にナチス軍服への抗議活動が行われてそれがTV新聞で報道され、会場から次の使用を断られるような事になればコミケ継続は不可能になってしまう…という危機感は強かった筈です。
(この会場使用をめぐる件が巨大イベントとしてのアキレス腱で、2012年12月のc83で起きた黒バス強迫事件でのサークル参加見合わせの際も、この対応を求めた東京ビッグサイト側から「前例のない非常に強い要請」「今後のコミケットへの会場利用の調整が非常に厳しくなる可能性を示唆」された事が明かされています)

コミケナチス軍服資料1
コミケナチス軍服資料3
事件の翌年、1997年夏コミc52のカタログとチェンジで詳細が説明。
 
 そして今のようにネット環境が普及しておらず2chすらも存在しない時期ですから、事件に関する準備会からの公式な説明は翌1997年になってから夏コミc52カタログおよび更衣室登録証の「チャンジ」において、当時の準備会の米沢代表からのメッセージとして掲載されています。
 これはc52カタログ掲載文の画像でよく出回っていますが、同c52チェンジの方にも同じ内容の文章が掲載されています。そして翌c53までチェンジには2回連続で同内容が掲載されている事から、危機感の強さが伺えます。
(当時は準備会に公式HPが無く、そしてコスプレイヤーはカタログを読まない人が多かったのでチェンジの方には夏冬2回も載せたと推測)

 また、米沢代表は既に故人であるため、遺した言葉がいささか神格化されてしまっているのではないか…という指摘がある事もあらかじめ記しておきます。

コミケナチス軍服資料2

[引用]
コスチュームプレイヤーへの提言とお願い
 ご存知の方もいると思いますが、コミケット51において、当日ドイツ軍コスプレ一部自粛という処置がとられました。準備会本部及び会場に、ある大使館職員と名乗る方から、ナチス軍服の集団は不快であり、報道関係(マスコミ)を連れてきてはっきりさせたいという電話が入りました。国際展示場という会場の性格もあり、会場に迷惑をかけたり、問題が大きくなる事を避けるために、準備会としては、事情を説明した上で、お願いして、腕章、記章等をはずしてもらうようによびかけました。これはあくまでも、当日の緊急処置という形で行われたことです。
 コミケットは、同人誌の発表の場というのが主であり、コスプレは従ということもあって、これまで、準備会は積極的にコスプレの位置付け、その意味等について語ってきませんでした。他人に迷惑をかける行為、物への禁止だけで、基本的に楽しくやってもらえばいいといったことだったのかもしれません。もちろん差別的なコスプレ、不快感を与えたり、特定の民族や団体を貶めるコスプレは、止めようと呼びかけてはいます。それでも、コスプレについて、大きく存在意義や在り方について語ってはきていません。
 コミケットは、一つの特徴としてマンガ、アニメ、ゲームファンのお祭り場という性格を持っています。これは、日常と対立するハレの日、非現実的空間でもあります。この日だけは現実的なしがらみや、常日頃の立場や、ノリを超えて、ファンたちが台頭に、出会える場でもあるのです。仮装(コスプレ)はそうした祭の、パフォーマンスの一つですし、異空間を形作る一つの要素でもあるのです。そうした祭りは、性も、年齢も、階級も、民族も、国家も、いっさい関係なく取り行われなければなりません。現実の対立や関係を持ち込むことはヤボであり、ブスイであるだけでなく、祭りそのものを否定することでもあるでしょう。
 準備会としては、会場の中で他人に迷惑のかかる危険なものは禁止せざるを得ませんが、それ以外に関しては、規制を緩和することが好ましいと考えます。特定の軍服を排除することは、特定の作品のコスプレを禁止することと同等の意味を持ちます。女装を禁止することはジェンダーの問題も含めて、差別につながっていきます。国家間の対立はコミケットに持ち込まれてはならないし、その前提があって、全ては同価値に、コミケットの空間に存在できるはずです。
 だが、しかし、こうしたことを成立させるためには、コスプレイヤーの意識が今のままであってはならないでしょう。つまり、同人誌を作って参加する人たちは、自分の作品や本を自らの責任において作っています。聞かれたら答え、何かあった時は自分で責任をとり、何といっても自分のやっていることをわかって活動しているはずです。コミケットが自己表現の場であり、コスプレも肉体と衣装を使っての表現、パフォーマンスであるなら、コスプレイヤーが、コミケットの参加形態の一つであるなら、本の作り手たちと同等の意識を持ってほしいのです。
 なぜ、このコスプレをやっているの?すきだから。それでいいのです。が、好きならば、もっと知りたい、なりきりたいと思うはずですし、そのコスプレが何であって、例えば軍服ならどうした歴史があり、どういった意味を持つのかといったことを、考えてもらいたいし、学習しようとする意志を放棄してほしくはありません。そうして、コミケットがどういう場であるのかも、きちんと押さえておいてほしいのです。また、コスプレが、その人のメッセージであるならば、きちんと伝えなければなりませんし、受けとる側の気持ちも考えるだけの余裕を必要でしょう。―コミケットでは自分のことは自分でやり、自分で責任をとる。困った人がいたら助けてやる。そうして、他人のことを考えながら、全体を見ながら行動する。―こうした社会生活の基本の部分をいつもきっちりしていてもらいさえすれば、あらゆるものを自由に表現できる場でありたいと思っています。
 コスプレイヤーの方々へのお願いとは、つまりコミケットの場の約束事を守ってもらうこと、自分のやっていることに責任を持ってもらうこと、マスコミの取材などがあったらきちんと伝えたいことを伝えられるようにしておくこと、ということになるかもしれません。よりよく、より自由で、より楽しいコミケットを創っていくために、御協力よろしくおねがいします。 (米沢嘉博)

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 これを読むと、確かにナチス軍服のコスプレを禁止していない…と言っても、やはり諸手を挙げて「自由!やっていいよ!」ではなかった事が読み取れます。
 コスプレするなら過去の歴史などもちゃんと調べて考える事が必要で、その上でやりたいのであれば準備会として禁止しないけど、あくまで自己責任だぞ…というような意味ですよね。
 だからコミケでのナチス軍服コスプレに関しては過去に問題になっても「それでも禁止していない」というのが答えなのですが、禁止しなかった事の意味も含めて考えおかないといけません。

 ちなみに先のTogetterの中で発言してる無地アイコンは牛島えっさい氏の旧アカウントです。80年代後半に実質的なコスプレ担当部署として設立された「更衣室担当」の責任者を約20年勤めていた人物で、ご本人も旧ドイツ軍を含むミリオタなので、「わかってる」人です。
 ちなみに古参イベンターには同様に軍装・女装・着ぐるみ出身者が割と多く、規制されがちだったこれらのレイヤーが自分達でイベントを運営する側に転身する例もありました。
 最近だとコスプレイベントは巨大化して自治体や大企業が協賛してビジネス的にも大きくなって、運営側の上の方にはレイヤー経験者が少なくなっていますが、それは時代の求めるものの違いでもあります。余談。

■コスプレに求められた〝表現〟としての自覚と責任

 先の文章はコミケ史・コスプレ史で見るとまた別の意味を持ちます。
 この辺から中年による昔語りが続きそうな予感がした皆さん、ハッキリ言いますが、的中です!

 「コスプレが肉体と衣装を使った表現であるならば、同人誌と同じように表現としての自覚や責任を持たなくては」という文脈内において、極めて後ろ向きながらも初めて「コスプレ=身体を使った表現」という位置付けがされたからです。
 実はこれまで、コミケにおけるコスプレが何なのか?というのは明確には決まってなかったのです。
 元々コミケは80~90年代の拡大期において、同人誌即売会としてのサークル参加スペースを確保するためにそれまでのお祭り企画を削ぎ落として行ったというのがあって、準備会の中に「コスプレ不要論」も根強かったにも関わらず、赤ブーやYOUなど他イベントが次々コスプレ禁止していく中であっても、コミケはコスプレできる場と機会を守り続けてきていました。
 このナチス軍服抗議事件を経てようやく「身体を使った表現」という位置付けがされた事で、コミケの理念として同人誌と同等ではないにしても主従の従として扱われる〝表現〟形態の一つであるという事になり(だから表現者としての自覚と責任を持て!という意味でもある)、この文章は若干形を変えつつ準備会の公式発行物などで以降、踏襲されていきます。

 近年の準備会公式媒体ではカタログやチェンジにはこれに該当する記載が無くなっていますが、サークル申込書に付属するコミケットマニュアル内4ページ目、「コミケットにおける『表現』」項目の中で「そしてコスプレのようにリアルの場だからこそできる身体表現まで、多種多様な表現が共存しています」という文章がありますので、礎にはなってるのかなと。
 現在のカタログでも冒頭、コミケの理念を「同人誌を中心としてすべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした表現の可能性を拡げるための『場』である」とあり、考え方としてはその中にコスプレが表現の一つとして(責任や自覚とセットで)入っている訳です。
 まぁ、今の時代の感覚で読むと過去の資料も「説教くさい」と受け取られてしまうのが目に見えてますが、コスプレ全般に関して、場と機会がまだ確立していない時代ですから、こういう啓蒙が必要だった訳です。

 当時はコスプレできる大型イベントはコミケ以外には極めて少なく、事件の起きる3カ月前の1996年9月に最初の東京ゲームショウが開催され、大型企業イベントでコスプレを受け入れていた事がまだ珍しがられていた頃です。
 翌1997年からカワサキハロウィン、後楽園ハロウィンフェスタ(現在のTDCコスプレフェスタ)など始まり、00年代に入ると愛知万博に便乗する形でテレビ愛知主催による世界コスプレサミットを先行事例として、全国で自治体や行政が関わる町おこしにコスプレイベントが組み込まれていきますが、それは先の話。
 なお他イベントではサンシャインクリエイションが2010年から、スーパーコミックシティが2011年からコスプレ解禁され、首都圏でもコミケ以上のコスプレイヤーを集めるドワンゴ主催の池袋ハロウィンコスプレフェスが2013年から存在しますが、これらはビジネス的な観点でのコスプレ歓迎イベントなので何かあれば禁止事項が増えていき、理念的なものは特に固まってないと思います。
 だからこそこれらは一人のお客としてライトな気持ちで参加できるのですが。


■批判がある事の意味は忘れないでほしい

 この辺からは私見です。
 という訳でコミケにおけるナチス軍服はこういった事件を経て、それでも禁止はされていないというのが答えなのですが、私は外部からの批判がある事そのものは正しいのだと思います。
 もし、「棲み分けされてるんだからそれでいい」「コスプレくらいでガタガタ言うな」となってしまうと、それこそ本当の意味で歴史の風化が始まるからです。

 これは先日のバーべンハイマー騒動(バービーとオッペンハイマーを掛け合わせた原爆ネタのファンアートに、バービーの米国アカウントが好意的に返信)にも同じ事が言えますが、鉤十字がナチスの虐殺行為のイメージから切り離されることはありませんし、キノコ雲が原爆投下の惨事のイメージから切り離される事もありません
 許せない人はどうしたって許せないし、今後も全部許される事も無いでしょう。
 ナチス軍服コスプレやキノコ雲のコラ画像に批判がある内は、負の歴史への認識が引き継がれてるという意味でもあります。

 本当に分かってる人間だけで見せ合うならともかく、SNSに上げてしまえば不特定多数が見る訳ですから、批判が生じるのは避けられません。
 私が知る限りですが、歴史を知るミリオタの皆さんは概ね抑制的であると思います。その後20年以上、大きな問題化する事もありませんでしたので。これをSNSで広報用に上げてしまった専修大学戦史研究会は、ちと迂闊だった気がします。コミケでナチス軍服コスプレは禁止されてないですけど、SNSで広まった先ではコミケのルールなんて関係ないので。
 
 だから批判があるのは正しいのです。でも、その批判が必ずしも他人を制御できる訳じゃありません。ここ重要。

 考えて、やりたいならやればいい。批判があるなら批判すればいい。
 批判されて改めるなら改めればいい。それでもやりたいならやればいい。
 表現の自由とは何しても批判されない権利ではなく、権力や暴力によって規制されないという意味でしかありませんので。
 そして、批判によって他人を制御できるかというと、必ずしもそうではありません。
 
コミケナチス軍服資料4
上記の1997年夏コミc52での更衣室登録証「チャンジ」には、このようなページもあったので、ぜひ読んでみてほしい。 
 
 
[今回の概要]
・1996年冬コミc51で「イスラエル大使館の関係者を名乗る人物からの抗議」があったのは事実だけど、予告された抗議活動は実行されず、これが本物だった可能性は極めて低い。
・コミケはこの当日に鍵十字を外してもらう対応を取ったけど、これ以降の禁止事項には入れていない。
・翌年のc52カタログとチェンジで、米沢代表から「コスプレするなら、その意味も考えて、自覚と責任を持たなくてはいけない」というお話がある。
・上記のお話が元になって、コミケにおけるコスプレが「身体を使った表現」として位置づけられていった。
・コミケのルールが通用するのはコミケ参加者だけなので、SNSに上げたらコミケに関係ない人たちが見る。
・批判は必ず発生するので、それをコミケのルールでOKという理由付けで封殺する事はできない。あくまで自己責任。

・大阪万博って終了直後から責任のなすり合いが始まりそう。


※なお、本項ではコミケにおけるナチス軍服コスプレの話をしているので、他のイベントや公園や神社でやってしまうような人たちがもし存在したなら、そこには説明も擁護も無いです。
※準備会からこ昨今の騒動に対してもし何らかのリアクションがあったら追記します。
 
[参考リンク(冒頭と同じ)]

・コミケ51でのドイツ軍コスプレ規制の経緯 - Togetter
(2016年に一水会の鈴木邦夫氏がナチス軍服でコミケに来て問題になった回想録をした事が発端)
https://togetter.com/li/1047396
・「コミケで見たコスプレヤー。アメリカ人としてよく理解できない」鉤十字腕章をつけたナチス軍服コスプレについて - Togetter
(c101における炎上の経緯)
https://togetter.com/li/2030245
・専修大学戦史研究会 今回の騒動について
(c102における炎上への謝罪)
https://twitter.com/senkenHQ/status/1691087294600474625