90年代に並立した二つのComicCityにスポットを当てつつ、同人界の時勢の流れを振り返ってみましょうか———。と言っても個人レベルで拾い集めた情報なので、間違い等有ったら補完ヨロ。
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 80年代前半、印刷会社の東京文芸出版がTRCなどで定期的に「ミニコミフェア」を開催し、同人誌の世界に企業(つまり印刷会社)主体のイベントが始まります。 

 86年、主催者の問題で中止になったC翼オンリーイベントの代わりとして、先の東京文芸出版を含む東京の同人誌印刷業者が起こした「Wingマーケット」が発端だそう。
(当時はC翼が一番熱かった頃で、今ほど同人イベントの開催数は多くなかったから、イベント毎にブ厚い新刊出すサークルも多かったわけです。だから一回イベントが中止になると大変な事になる。勿論ネット通販や書店委託など無い時代ですから) 
 翌87年、この「Wingマーケット」が転じて「Comic City」が始まります。ここで中心になった曳航社のイベント部門が後に独立したのが「赤ブーブー通信社」だそうです。 

 89年、先の東京文芸出版が赤ブーブー(曳航社から派生)と仲違いして、ここから赤ブーブーComicCity(以下、赤ブーシティ)と東京文芸出版ComicCity(以下、文芸シティ)に分裂します。 
 以降、97年に東京文芸出版が倒産するまでの間、東京を含む一部地域では二つのシティが並立してしまい、混乱を招きました。
 昔、コミケのパンフなどにひっそりと出てる文芸シティの広告では、「赤ブーブー通信社の同名イベントとは関係ありません」という旨が明言されてあったのを、不思議に思った人は自分も含め多いと思います。

(以下、長いので続きに移します) 


◆ 赤ブーシティ・メモ 
 90年代前半~中盤は東京で2ヶ月に1回、3000~5000spの中規模イベントを開催。地方大都市へ積極的に進出。 
 92年から、夏冬コミケに次ぐ12000sp大規模イベント「SuperComicCity」をGW時期に開催。(初回のみ東京文芸出版と共催だったらしいですが私は未参加です) 
 94年以降、有害コミック規制運動の煽りを受けて、男性向サークルへ強制的な自主規制を課そうとしたり、幕張メッセでのイベントを千葉県警からの「注意」だけで中止したり、他にもスーパーシティのカタログがサークル参加者にも強制購入で1日2500円だったり、オウム関連の販売物を扱っていたサークルを通報して逮捕騒ぎを起こしたり(これは運営ではなく参加者が通報したのですが)と、運営上の失態が続く。
 以降、男性向けサークルからは信頼を失い、結果として女性向けイベントになる。(文末のオマケ項・参照) 
 また、この時期のコミケカタログには、赤ブーへのキョーレツな批判記事が多く載っている。これは有害コミック規制運動への反発が背景に有るのだろう。

 現在では東京での中規模開催は減少、オンリーやったり、男性向けに特化した「青ブーブー」なるブランドを立ち上げ。 
 なお、赤ブーブーは関西ではまだ強い。 
 80年代末、赤ブーの本社が神戸に置かれた事に由来するそうな。
 この時期にはまだ地方には小規模のアマチュアイベンターしか居なかったので、大規模イベントは企業主体でなければ難しかった。 
 …が、母体の曳航社自体は98年倒産。印刷の資料請求してたのに同封した切手代が返ってこなかった若人がここに。 (なのでこの社名は強く覚えていた)


◆ 文芸シティ・メモ 
 90年代前半~中盤は3000sp前後の中規模イベントを東京中心に開催。 
 東京文芸出版自体は老舗であったが、結局は孤立。他の印刷会社も赤ブーに付いた。 
 デリータスクリーントーンでおなじみのアイシーが開催する「コミックテクノ」と共催したりして継続の道を探るも… 
 97年、倒産。なお、印刷部門は既に別会社として分離していたそうで、これが「STプリント」。 
(ただしその後、こちらも倒産もしくは閉店した模様http://doujin-portal.com/print/index.htm) 


 で、どっちにも言えるのは…というかどこのイベントにも言えるのは、この90年代後半、オールジャンルの中規模イベントってあらかた淘汰されちゃうんです。理由は、 

1. 晴海から移行したビッグサイトは、賃料が高い割に交通の便が悪く集客は少ない。
  (りんかい線は開業時には大崎まで繋がっていなかった)
2. 個人による小規模オンリーイベントが増加し、そちらへ人が流れた。
  (これらを模して、ここ数年は企業主体による、大会場内でオンリーイベントを複数開催する“プチオンリー”も増加している)
3. 低年齢化でグッズサークルが増えたり、コンビニのカラーコピーや家庭用プリンタの普及で、ぶっちゃけ印刷会社の旨味が減った。 

 …といった所でしょうか。 
 文芸シティ、テクノ、テナッセン、クリエイション…初期のビッグサイトへ進出した中規模イベントが、次々と消滅or撤退していく。 
 だって今、同人作家の日記見てご覧なさい。やれサンクリで女装ショタ本出すの、巨乳っ娘だのコスチュームカフェだの闘ッ!だの、みんなジャンルや属性イベントばっかでしょう?
 よっぽどの大規模じゃなきゃ、首都圏人はオールジャンルイベントなんて行かないんですよ。オンリーのが、欲しいものは確実に見つかるんだし。 
 
 これと反比例して増えたのがコスプレイベントで、会場さえ借りれば機材レンタルとかパンフ印刷とかの事前の手間は比較的少ないので、ローリスクなんですね。きっと。 


◇ おまけ 
 シティから溢れた男性向けサークルは、会場・主催者がエロに寛容だった池袋サンシャインの「コミックレヴォリューション」へ向かったため、以降レヴォの男女比が逆転し、「サンシャインのイベント=男性向け」のイメージが作られる。 

 97年、レヴォの補完的位置付けで盛況だった(株)ブロッコリーの「コミックキャッスル」が終了。
(ゲーマーズの店舗展開が軌道に乗り、版権元との付き合いが多くなった会社が、即売会を主催するのは何かと不都合が有った模様。ちなみに、ブロッコリーの社長は元・山一証券社員で、初めて即売会に行ったのが92年だったというのに、94年には脱サラしてブロッコリーを立ち上げた)
 そのサンシャインでのスケジュールを譲渡されたのが「表現の多様性」を謳った「サンシャインクリエイション」。閑古鳥の鳴いていた本家クリエイションと違って大盛況に。 

 現在でも、サンシャイン付近は乙女ロードと呼ばれるほど女性向けの店が多いのに、イベントになると男性向けばかりなのは、こういった歴史的経緯による…。


2011,11,1追記] 
 この2年前の記事のアクセスが増えていて驚きましたが、そうか、ツイッター他で紹介してもらえた様ですね。
 今と比べて文体が妙にフランクなのは、始めた当時のこのブログの趣旨が「mixiに書いてた日記の、外部保存用」だったからです。恥ずかしい事に。
 それと赤ブーに関する話では、「同人誌生活文化総合研究所」(三崎尚人さん)の
同人誌レポート-ネットワーク編-なども良い資料になると思います。

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C49(1995冬)コミケカタログでは、両社によるシティの広告が並んだ。
左:赤ブーシティ 右:文芸シティ