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「合体超獣ジャンボボボボーン」

こんにちワン   の首輪と尾!
ありがとウサギ   のフリル!
こんばんワニ   の頭!
さよなライオン   のタテガミ!
おはよウナギ   の尾!
いただきマウス・ごちそうさマウス   の頭!
いってきまスカンク   の脚!
ただいマンボウ   のヒレ!
おやすみなサイ   の頭!


   ACジャパン公共広告機構あいさつの魔法ぽぽぽーんブームに乗ってみました。(強引に)
   元ネタは勿論、ウルトラマンエース最終回の最強超獣ジャンボキングです。

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   さて、そのジャンボキングにかこつけて、ここから下はウルトラ語りを始めます。
   この後、本当に本当に、「ウルトラマンエース」と脚本・市川森一の話が延々と続くだけですので。長いですよ。

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ウルトラマンエースの基本的な世界観と設定は、「異次元の悪魔が、人類の“心”に挑戦してくる」だと思います。改めて言うまでもなく、これはウルトラシリーズの中でも特異でありまして。
   この「エース」の世界観が、クリスチャン(プロテスタント)であるメインライター・市川森一による独特の感覚で描かれている…ってのは特撮ファン的にはジョーシキなんだと思います。
   「エース」の特殊性を理解しようとすると、ここが重要になってくるのですよ。

   つまり、男女の合体により人智を超越したヒーローが生まれる…という設定や、異次元人ヤプールが“侵略者”ではなく“悪魔”=人類の天敵であり、侵略作戦 としては何ら整合性の無いイヤガラセ(人間の心に付け入り、追いつめる)を繰り返すあまりにも禍々しい展開は、上記を知る由もない(知っていたとしても) 多くの視聴者にはただ怖い、気持ち悪いものに映った事は、想像に難くありません。
   だからその、南夕子もヤプールも中盤で姿を消し、ホームドラマ的な展開へとシフトしていくんですけど。

   市川氏自身もシリーズ中盤で番組を去っており(48話「ベロクロンの復讐」、最終回「明日のエースは君だ!」のみ再登板。共にヤプールの残党がらみの話)、「異次元の悪魔ヤプール」「男女合体変身」という二つの構成要素も外された時点で、「エース」はもはや違う番組になってしまいました。
   市川氏が本作を最後に子供向け番組から遠ざかったという事実が、この時の市川氏の心情そのものではなかっただろうか…。  
(ただ、初期のムードを雲散霧消させつつ、「エース」はまた違った展開で、人気番組として続いていくのである。それはそれで試行錯誤の賜物)

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   「安直なヒューマニズムの否定」
   ウルトラシリーズの監督を務めていた真船禎氏はCSの番組で、市川作品をこう表現したのです。  
   市川森一の(ゆがんだ)信仰の経緯とは、少年時代、病気の実母の回復を祈って教会へと通い始めるが、その甲斐なく母は亡くなり、本人にはクリスチャンとしての習慣だけが残る。痩せ細っていく母の代わりに、手元には教会でもらったシールなどが増えていく。その後、父は再婚するが、継母からは愛される事は無かったそうな。

   年端もいかない子供。まして障がい児だったり、孤児だったり。本来なら誰もが同情したりいたわりたくなるものが、正体は悪魔に近しい存在だという意外な展開。
   人間の抱きがちな“同情”とか“哀れみ”とかいうものが、見方によっては如何に浅はかなものであるかを、市川氏は視聴者の目の前に突きつける訳です。
(それは、視聴者によっては、見たくなかったものだったとしても)  

   この「本来護られるべき存在が、実は悪魔」というパターンは他にも帰マン31話「悪魔と天使の間に…」でも使っていて(ってゆーか、その発展形がこのエース最終回なのだと思う)、市川氏の人間観というか、物語づくりへの視点が見て取れる。  

   しかし、忘れてはならないのは。  

   一見、ヒューマニズムをあざ笑うかのような市川氏の作風は、同時にそれによってしか、世界は成り立たない、とも描いているのであって。  

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   さて本題のエース最終回「明日のエースは君だ!」
   冒頭、ウルトラ兄弟のお面をつけた子供達が、負傷した宇宙人の子供=サイモン星人を集団で暴行している所から始まる。
(市川氏は後にイラク戦争の頃、「正義とは仮面。その仮面を付ければ、何をやっても許されてしまう」という発言を、NEWS23出演時に残している)

   目撃した北斗は子供達を諭し、そのサイモン星人を子供達と協力して治療し、かくまう。
   しかしヤプール人は死んだ超獣達の細胞を合体させ、最強超獣ジャンボキングを差し向けて街を破壊、サイモン星人の身柄を渡せと要求してくる。
   北斗と少年達はこれを拒否し、サイモン星人を護って戦おうとするが。
「家や街は、また建て直す事もできます。しかしあの少年たちの気持ちは、一度踏みにじったら、簡単には元に戻りません!」

   しかし北斗と子供達が護ろうとしていたこのサイモン星人の正体は、異次元人ヤプールの化身であった。
   「私を撃てばお前は子供たちの信頼を裏切ることになるぞ?」と迫るサイモン星人を、子供達の目の前で射殺してしまった北斗は、このサイモン星人がヤプールの罠であった事を子供達に告げるが、信じてはもらえない。

「オレたちだってもう、お前の言うことなんか聞くもんかっ!」
「僕が奴のテレパシーをわかったのは…それは僕が、ウルトラマンエースだからだ!」


   仕方無く、北斗は自分がウルトラマンエース(の超能力で真実を知った)である事を明かし、最後の変身をして、ジャンボキングを倒して地球を去る。  

「やさしさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、
   どこの国の人とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。
   たとえその気持ちが、何百回裏切られようとも。
   それが私の最後の願いだ」


   この台詞が32年後にウルトラマンメビウス44話「エースの願い」でもそのまま、今度はエースではなく北斗の口から語られている事は、覚えている人も多いでしょう。
(市川氏自身は後年、エースを振り返って「失敗作だった」と表現しているとか)

   市川森一の描こうとする正義とは、常に、重い十字架であるのかもしれない。  

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   そんなわけで、もし小さなお子さんのいる皆さんがDVDをせがまれる事があっても、「ウルトラマンエース」は最初に見せてはいけません。
   必ず怖がって拒絶反応を起こしますから!


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メディアの中の金城哲夫
(市川森一脚本のNHKドラマ「私が愛したウルトラセブン」に関する記述を含む)