[ここまでのあらすじ]
2000年代初頭…千葉県千葉市湾岸エリア。川崎製鉄と日本鋼管の統合により発足したJFEスチールが事業を再編、その所有していた工場地帯の隙間に開発の波が押し寄せました。
ハーバーシティ蘇我計画。中核はアリオ蘇我。イトーヨーカドーを核とするショッピングモールで、その周辺に飲食店やホームセンターが並ぶ、巨大商業エリアが生まれていきます。
2005年、ハーバーシティ蘇我の第一弾として3区画がオープン。アリオ蘇我・ホームズ蘇我とともにその海沿いの一角を成したのがフェスティバルウォーク蘇我。ごく初期を除いて、セガが管理運営する娯楽施設として、映画館やパチンコやゲームセンターが核となり日帰り温泉やホビーショップも出店しました。
こんな時にはやっぱり資料的に役立つ古代遺跡コスプレイヤーズアーカイブに蓄積された記録によれば、「コスプレ開放」イベントの第一回は2007年の7/21。同年だけで5回開催されています。
多い日には数百人規模で参加者が来場するコスプレイベントというのは、千葉県では幕張メッセの複合型イベントを除いて殆ど存在しない規模でした。
多い日には数百人規模で参加者が来場するコスプレイベントというのは、千葉県では幕張メッセの複合型イベントを除いて殆ど存在しない規模でした。
当時猛威を振るったのが「仮面ライダー電王」、そして秋頃からは初音ミクブームが始まります。ボカロブームはサービス開始直後だったニコニコ動画・ピクシブを潤し、そして副次的にコスプレイヤーズアーカイブのユーザー拡大にも寄与しました。
振り返れば00年代は、バブル期に建造されたテーマパークや、大店法の規制撤廃から乱立を招いたショッピングモールやアミューズメント施設を使って、新規コスプレイベントが広がっていった時期でもあります。
過疎テーマパークやショッピングモールは背景が綺麗で、それでいて一般客が少ないというのがコスプレイベントとしての集客には理想的な環境だったからです。
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